山手本通りから横浜駅根岸道路へ
山手本通りは山元町の交差点で終わり、この先は横浜駅根岸道路となります。

山手本通りが下り坂に入ったあたりから微妙に変わり始めた雰囲気は、この交差点を境に道路名が変わることとも併せて、さらに変わります。
以降、通り沿いに広がるのはどこか昭和然とした街並みで、ここから再びなだらかな上り坂へ。

根岸森林公園までのルート確認ポイントは、いくつかあります。
まず最初のポイントは、山手本通りが終わって割とすぐのところにある柏葉入口交差点です。
ここで左折して道なりに進むと、山手公園入り口や山手トンネル傍に通された本牧通りへと行き当たるという交差点ですね。

続いて、簑沢入口交差点です。
この交差点の少し手前に右に折れる大きい道があるのですが、この道沿いには山手の外国人墓地から派生した中華義荘や、同じく山手の外国人墓地と同等の歴史を持ち、「ディープな横浜」が話題となる時にしばしばその名が上がるという根岸共同墓地などがあります。
中華義荘は中国人墓地、根岸共同墓地は広大な土地に見渡す限りのお墓が並ぶという日本人墓地です。
後者は、ところによって雑然とした一帯があることがしばしば指摘されています。

横浜駅根岸道路に沿ってさらに進んだ道沿い右手に、一見したところ全くそれっぽく見えないのですが、根岸森林公園の入り口へと繋がっていく、山元町4丁目交差点から伸びた右手の坂道があります。
一般車の場合、この道は行き止まりとなるので通行できません。
同じ道(横浜駅根岸道路)沿いのさらに先に、駐車場入り口が用意されています。
◾️関連リンク
Info
- 横浜市緑の協会公式サイト “根岸森林公園“
Guide
- Yahoo!マップ “山元町交差点“、”柏葉入口交差点“、”蓑沢入口交差点“、”山元町4丁目交差点“
- 【元町中華街エリア】横浜外国人墓地(山手本通り沿い、ブラフ99ガーデン隣、見尻坂傍)
根岸森林公園(公園内は自転車走行禁止)
戦後の根岸と令和の根岸
戦後まもなく中心部をごっそり接収された本牧地区同様、かつての根岸地区は、旧根岸競馬場を含む丘の上の広大なエリア(現・根岸森林公園全てと、その北西エリア)を、丸ごと米軍に接収(=占領統治時の不動産強制占拠)されていました。

青の背景に白文字一色、日本語無し、アルファベットのみというどこか日本ぽくない看板が示唆しているように、ここはかつて米海軍に接収され、その後長らく米兵やその関係者の生活拠点となっていた根岸住宅地区の敷地だったところです。

かつて、というよりはつい最近(平成末)まで「日本の中のアメリカ(軍関係者の居住区域)」だった場所であり、付近には今も米海軍が発した“OFF LIMITS”(立ち入り禁止)の注意書きが残されていることがあります。
もちろん、現在その効力は全て失効していますが、日本側当局によって、引き続き立ち入り禁止区域に指定されているエリアは存在します。
エリアに歴史ありというか、どちらかというと戦後史の闇に近い部分ですね。
そんな「かつて」も今は昔。
既に日本側への返還が完了して久しい本牧地区と並び、昭和の時代から随時返還が続いた根岸地区でも、平成末期に最後の関係者が退去することをもって、「戦後」が終わりを迎えました。
公園入口

ちなみに、根岸森林公園では公園内での自転車走行は禁止されているという点に、注意が必要です。
公園到着後、公園内では手押しで進む必要があります。
参考
- 横浜市公式サイト “根岸住宅地区“
根岸競馬場跡

この一帯は、かつて幕末(1866年=慶応2年)に日本初の洋式競馬場として開設された根岸競馬場(1943年=昭和18年閉場)だったところで、芝生の向こうに見える建物は、旧根岸競馬場一等馬見所跡です。
関東大震災後の1930年=昭和5年に竣工した建物で、設計者は横浜山手の西洋館を複数手掛けた、JHモーガンさんです。
競馬にしてもまた文明開化期に日本に初めて持ち込まれた西洋文化の一つであり、かつての根岸は、山手地区・山下地区等同様、それなりに華やかな場所だったことを偲ばせます。
◾️関連リンク
Guide

