坂道沿いの風景
ワシン坂は、本牧埠頭B突堤入り口付近から山手本通り方向に向けて通された坂道ですが、
本牧ふ頭の手前、ワシン坂起点のすぐ近くにある小港交差点に隣接する「本牧十二天」は、かつての本牧岬の先端です。
古くは鎌倉時代以来、「海から流れ着いた12体の神体」を縁起とする本牧神社があった場所でした(※)。
本牧神社はその後時流に呑まれ、さらにはGHQによる接収の影響を受ける形で転々としたのち、接収解除後に現在地(本牧山頂公園に隣接する本牧和田)に落ち着くこととなったのですが、現在の町名にある「十二天」とはすなわち十二体の神体を意味します。
鎮守(地域の守り神)としての神社そのものを指し示す時期を経て、昭和の初めに町名となりました(※2)。
かつての本牧岬の先端、すなわち現在の「十二天」にて切り立っていた崖は、その独特の色(蜜柑色)から「マンダリン・ブラフ」と呼ばれ、航海の目印にされた景勝地だったとされています。要は昔はこの付近に海岸線があったのだということで、今も町名にはその跡が残されているのですが、思うにかつてのワシン坂自体にも、今とはまるで別種の風情が宿っていたのでしょう。

ところで、ハッキリとした由緒を思わせる「ワシン坂」の名前ですが、坂名の由来には諸説あるとされています。
尤もらしく聞こえるのは、日米「和親」条約の「ワシン」がそのまま坂の名前になったという説でしょうか。
開国後ほどなく丘の上が外国人居留地となったという事情と照らせば取り立てて不自然は無いように伝わりますが、ほかには「湧き清水」あるいは「鷲見」がなまってワシン坂といわれるようになった等々の説もあるようです。

一説によると「ワシン坂」の名前の由来になったとされる湧き水は、今も「ワシン坂入口」信号横で湧き続けています。残念ながらすでに飲用には適さないようですが、現在も生活用水として残されています。
参考
- 本牧神社公式サイト “由緒沿革“(※)
- 中区公式サイト “中区の町名とその歩み(は行の町名)“(※2)
- 横浜開港と日米和親条約、日米修好通商条約(国交樹立と通商開始)
- 開港広場公園と周辺エリア(大さん橋、日本大通り傍)
ワシン坂へ

ワシン坂の入り口です。

ワシン坂の先で山手本通りや谷戸坂等を経由することによって、道なりに本牧地区と山手地区・元町地区が結ばれる形となっていますが、まずは丘の上に向かう急な坂道からのスタートです。
参考
ワシン坂病院とワシン坂公園

急な上り坂であるワシン坂を登り始めると、割とすぐ出てくるのがワシン坂病院です。
戦後の山手に設立された、精神科病院ですね。
屋上階のフェンスが有刺鉄線付き鉄条網を思わせる形をしていたり、

病棟の窓に鉄格子がついていたりと、やや物々しい見た目が特徴です。
現在では、設備も含めた施設のあり方自体が見直されている風潮も一部ではあるにはあるようですが、かつて(ワシン坂病院が設立された当時)の精神科の病院では、患者の安全確保のためこれらの設備が必要だとされていました。
「転落防止や自傷防止のための建築構造」だということで、現在でもその捉え方は特に異端ではないようです。

ワシン坂病院のすぐ裏手あたり、上り方向に向かって左手にあるのがワシン坂公園です。

こじんまりした公園ですが、高台にあるので、天候次第では今でも富士山が見えます。
眼下に広がるのは北方町、本牧町、本郷町等々で、概ねJR根岸線の山手駅方向です。
ワシン坂公園のすぐ横には眼下に広がるエリアとワシン坂を結ぶ結構急な階段坂がありますが、この階段坂は「猫坂」という愛称で呼ばれる場合もあり、愛称の由来には諸説あるようです。
方々で地域猫ちゃんを見かけることがあるのも、確かに、山手地区の特徴の一つではあります。
由来はさておき「猫坂界隈もその一つだ」と言われれば、その現実にこの愛称ありとしてすんなり腑に落ちるところではありますが、ともあれ。

「猫坂」付近まで登ってくると、海側(新山下方面)にも視界は開けてきます。
参考
- JR根岸線 山手駅 -駅基本情報、ロケーション、交通案内-
- 【横浜街歩き】山下ふ頭(元町中華街駅最寄り、山下公園隣)
- 山下橋(山下公園傍、山下ふ頭・新山下エリア間)
- 【横浜街歩き】横浜港シンボルタワー(本牧ふ頭D突堤、バス・車利用)
アメリカ国務省・日本語研修所

米国務省の日本語研修所は、日本に赴任する米国の外交官が日本語研修を受けるための学校です。元町・中華街駅前の「シドモア桜」から作られた苗木がこの日本語研修所に植樹されたことも話題となりました(※)。

この付近からも、はるか遠くに富士山が望めます。
参考
- みなとみらい線 元町・中華街(山下公園)駅 -駅基本情報、ロケーション、交通案内-
- 横浜元町ショッピングストリート(元町商店街)を街歩き
- 2019.3.31付読売新聞朝刊(※)
ワシン坂上公園/ヘレン記念教会

ワシン坂を上りきった辺りには、ワシン坂公園と名前のよく似た「ワシン坂上公園」という、海側に面した公園があって、

向かいには山手ヘレン記念教会というプロテスタント系の教会があります。
参考
「丘の上」へ
この先の坂道は、厳密には「ワシン坂」の先に伸びた坂道です。
港の見える丘公園側から進む場合、ワシン坂への緩やかな下り坂道となっている部分ですね。
聖坂への分岐
聖坂は、ワシン坂上公園の先、最初に出て来るY字の交差点が起点となる坂道です。
港の見える丘公園方面から進む場合であれば、「近代文学館入口」交差点から二つ目の交差点、直進方向に「7時~9時進入禁止」の標識がある交差点が起点となります。

坂道の途中には聖坂公園というこじんまりした公園も用意されているほか、日本水上学園、および聖坂養護学校が設置されています。
日本水上学園は、水上生活を余儀なくされた横浜港の艀(=小舟)の船頭さんの子供のために作られた学校としてはじまっていますが(※1)、現在は児童養護施設としての「自立支援」が主目的になっています。
水上学園の設立経緯とも強い縁を持つ「艀」は、そもそも「水上生活」が過去の風景となった上、ピーク時に比べると仕事量もかなり減ったようですが(※2)、今でも港にはなくてはならない仕事の一つではあるようです。

新山下エリアと本牧エリアを結ぶ見晴トンネルのほぼ真横に作られているという公園内からは、ワシン坂方向への上り坂、

反対側本牧通り方向への下り坂、両方向が見渡せます。
参考
- 【みなとみらい線沿線さんぽ/山手本通り】港の見える丘公園
- Yahoo!マップ “近代文学館入り口交差点“
- 社団法人 日本水上学園 “日本水上学園の由来“(※1)
- 横浜はしけ運送事業協同組合 “はしけ輸送事業“(※2)
- Googleマップ “聖坂公園“
- Yahoo!マップ “見晴トンネル南側入口“
「港の見える丘」からの風景

教会が多く、かつ宗教とのかかわりが深いのも元・居留地の故ですが、

この付近から道沿い風景がいよいよ「港の見える丘」風になってくるので、日没後には絵になる夜景も期待できます。
旧横浜インターナショナルスクール(YIS)エリア
以下、この付近のかつての風景です。
横浜インターナショナルスクール=YISは1924(大正13)年創設の伝統校で、かつて(昭和・平成期)の「丘公園」周りはそのままYISのお膝元でもありました。諸々の理由によって2021(令和3)年を目途に本牧地区に移転するプランが立案され、現在は新キャンパスへ移転済みです。

そのまま道なりに進んでいくと出て来たという赤レンガ風の建物は、YISが所有していた施設です。

ここにはかつて幼稚園と講堂が置かれていました。
参考
港の見える丘公園前

旧YISエリアに入り、さらに歩くと山手111番館が右側に、

向かいにはYISの校舎がありました。
日本の学校でいうところの小学校から高校までの過程がこのキャンパスに設置されていて、YISのグラウンド等がこの校舎の裏手、陣屋坂沿いに広がっていたのですが、現在は、跡地にマンションが建設されています。

旧YISの向かい、横浜市イギリス館横を通過すると、

港の見える丘公園前交差点へ。道なりに伸びた、下り方向の坂道は谷戸坂です。
下り切ると、左手にはみなとみらい線の元町・中華街駅、その先には元町商店街が位置しています。
交差点右は港の見える丘公園、左側には横浜山手のメインストリートである山手本通りが伸びています。
参考
ワシン坂エリアの「噂」
ワシン坂は、旧居留地としての山手地区が持つ文明開化イメージとは裏腹に、Google検索のサジェストで二番目以降に並ぶキーワードに割と物騒なものが目立つ一帯となっています。
ちなみに、「心霊」「事件」「噂」などなど、「凄惨な事案の果てに生まれたオカルトのテンプレート」を思わせる語がついて回る根拠は、現在の山手地区が”The bluff”と呼ばれていた外国人居留地時代に遡ります。
そもそもの始まりは現在ワシン坂病院が置かれている付近で発生した殺人事件(被害者・加害者共に英国人)にあるのですが、その後ここに端を発する形で尾鰭のついた話を含め、ほぼすべての風評がこの一事に行き着く形となっています。
なお、当該事件については、ノンフィクション本「横浜・山手の出来事」も残されています。
同じ横浜山手とはいえ100年以上前、なおかつ現在とは法的な性質が異なる土地だった時代の話ではあるのですが、居留地の社交クラブの支配人だった英国人男性が自身の妻によって殺害(ヒ素による毒殺)されたと結論づけられた事件は、当時の外国人居留地界隈にも結構な衝撃を与えたようです。
つまりは、その衝撃の余波こそが、今に残された「サジェスト」の含みなのでしょう。

