外国人墓地傍の小さな公園
元町・中華街駅側から

元町中華街駅下車後、アメリカ山公園方面から山手本通りへ向かうと、
横浜地方気象台の先で左手に出てくる公園が、ブラフ99ガーデンです。
公園名に付された”99″は、山手111番館の”111″や山手234番館の”234″同様、「かつて」を引き継いだ現住所に由来する命名です。

平成26(2014)年に、「横浜みどりアップ計画」の一環として整備されました。
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Info
- 横浜市公式サイト “横浜みどりアップ計画“
公園内へ

公園すぐ横には山手地区の歴史等についての説明が置かれていますが、

公園の位置づけ的には「港の見える丘公園内にある庭園」というもののようです。

公園は山手本通り沿いに位置していますが、向かって右隣りには外国人墓地、左方向に直進すると突き当りに港の見える丘公園があって、写真の左手にはビヤザケ通りへと通じる陣屋坂が通されています(後述)。

内部にはガゼボ(西欧風東屋)が、

山手本通りや外国人墓地が見下ろせるように作られています。
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ベンチ、マグノリア、夏みかん

ガゼボの並びには2~3人掛け程度のベンチが二つ用意されているのですが、ベンチ本来の用途である人間用として使われるほか、

しばしば地域猫ちゃんたちの集会場となっています。

ベンチの前あたりにはマグノリア(サクラモクレン)の木が植わっていて、

春先には、花が満開となります。

ブラフ99ガーデンと港の見える丘公園の間には、もう一つ、夏みかんの木も植わっているのですが、

実はこの夏みかん、旧居留地自体の名残として今もこの地に残されているもののようです。
満開のサクラモクレンの隣に、黄色くなった「夏みかん」。
どこか不思議なイメージも伴う組み合わせではありますが、元は明治・大正期の山手地区に実用・観賞用として取り込まれ今に至るのが、「山手の夏みかん(柑橘類)」の歴史です。
横浜産夏みかんでは自家製マーマレードなどが楽しまれていたようですが、水捌けがよく、日当たりも良い、「年平均」で判断すれば比較的温暖な気候であるという山手の風土がその栽培を可能としました。
大規模な業務用としてはともかく、個人レベルの家庭菜園でなら十分行けたということですね。
山手本通り沿いにあるベーリックホールの庭園にも同じく、かつての名残として夏みかんが残されている様子が「緑の協会」公式サイトで紹介されていますが(※)、避暑地の軽井沢でイチゴやあんずなどから「ジャム」を作る文化と同様のものは、かつての横浜にも持ち込まれていました。
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Info
- 横浜市緑の協会公式サイト “ベーリック・ホール 初冬の庭園の様子“(※)
公園拡張計画

令和7(2025)年現在、ブラフ99ガーデンでは、周辺エリアと一体化した公園の拡張工事が進行中です。

敷地内には移築した西洋館を利用する形の郷土資料館が設置され、歴史資料の展示などが行われる予定となっているようですが、完成が今から楽しみですね。
参考
- 横浜市公式サイト “港の見える丘公園(拡張部)“、”関連資料“
陣屋坂
ビヤザケ通りへ向かう下り坂
陣屋坂は、ブラフ99ガーデン前付近とビヤザケ通り間を結ぶ坂道です。

山手本通り沿い、港の見える丘公園と横浜外国人墓地に挟まれた「ガーデン」前の一画から、

緩やかな下り坂として始まっています。
薩英戦争およびその原因となった生麦事件、さらには長州藩と列強(英仏蘭米)間の武力衝突である下関戦争など、血なまぐさい事件が頻発した開国間もない激動期。自国民を保護するためとして横浜に上陸した英国軍がこの地に陣取ったことから、「陣屋」坂と名づけられました。
時系列を整理すると、
- 文久2(1862)年:生麦事件発生
- 文久3(1863)年:薩英戦争勃発、英軍の駐屯開始
- 文久3-4年(1863-64年):下関戦争勃発
となりますが、英軍の駐屯は生麦事件発生を契機として翌文久3(1863)年より始まり、「維新」後の明治8(1875)年まで続きました(※)。
陣屋坂をまっすぐ下ると諏訪町交差点にてビヤザケ通りに出ますが、ビヤザケ通りを向かって左側へ進むと港の見える丘公園方向へ、右側へ進むと本牧通り方向へ、それぞれ向かうことになります。
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- 【元町中華街エリア】横浜外国人墓地(山手本通り沿い、ブラフ99ガーデン隣、見尻坂傍)
- 【元町中華街エリア】横浜地方気象台(アメリカ山公園、外国人墓地傍)
- 【元町中華街エリア/山手本通り】港の見える丘公園
- 【横浜山手の坂道】ビヤザケ通り(本牧通りから山手地区へ)
- 近代横浜の始まり -開港場と周辺エリア-
- Googleマップ “諏訪町交差点“
参考資料
- 中区制50周年記念事業実行委員会『横浜・中区史』(昭和60年2月1日)(※)
坂道沿い、かつての風景

陣屋坂では二車線幅程度の道路が広がっていますが、かつてこの坂道沿いには、横浜インターナショナルスクール(以下YIS)の敷地が広がっていました。YISは現在本牧地区の新キャンパスへ移転済みですが、坂道右上付近に見える緑色のネットは、かつて存在したYISの運動場のものです。

ワシン坂の記事でも触れましたが(※)、YISのキャンパス移転は令和3(2021)年を目途としたものです。
移転が完了して久しい今となっては、ここにキャンパスがあったこと自体結構昔のことのように感じなくもありません。YISありし日の付近一帯には、学校の施設や看板、通り沿いの建築物、聞こえてくる学生の声等々から、どこか海外から区画を持ってきたような雰囲気も感じられました。
この点は、登下校時間帯の丘公園前(特に市バスのバス停付近、校舎前エリア)も然り、ですね。

今後、さらにこの一帯の雰囲気も変わっていく事になるのかもしれません。
参考
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