JR根岸線・石川町駅の北口(中華街口)方面には、戦後(GHQによる接収解除後)になって東京(台東区)の旧・山谷地区、大阪のあいりん地区(西成)と並ぶ「日雇い労働者の町」=ドヤ街として有名になった寿地区があります。
「寿地区」とは、旧・吉田新田内(※1)に形成された「埋地七ヶ町」に含まれる三町、中区寿町とその両隣にあたる扇町、松影町を中心として石川町駅の西側に広がる一帯を指します(※2)。
元々はその地の利を活かし、問屋街や物流の中心地として栄えていた時期もあったようですが、接収解除後の昭和32(1957)年、公共職業安定所の(野毛地区からの)寿町移転によって、一般によく知られた「昭和の寿地区」に繋がる流れが作られました。
そんなかつての名残から、今も変わらず「ドヤ」(※3)と呼ばれる簡易宿泊施設が多数営業されてはいるものの、今となっては「職安ありきで街が作られた寿地区」自体が過去のものとなっています(※4)。
公的な職の斡旋がなければ町の態様も変わってくる、それ以前に人口動態自体がかつてとは大きく異なっていることから、現在は地区全体で「普通の街」化が進んでいて、いわゆるドヤ街としての個性も(かつてに比べると)薄まることとなりました。
横浜の開港、関東大震災被災、さらには戦災・接収・接収解除、職安の転入・転出と、横浜のはじまりや受難の歴史を契機として二転三転してきた寿地区のあり方も、今ひとつの転機を迎えています。
◾️関連リンク
Guide
- ※1:吉田新田とは、元々は入江となっていた地(=現在の大岡川・中村川間の、釣り鐘型となった一帯)が江戸時代に新田として開拓された後、開拓を実行した石材商・吉田勘兵衛の名字を譲り受ける形で「吉田新田」と命名された一帯のことです。
- ※2:「七ヶ町」の他四町は、翁町、不老町、万代町、蓬來町です
- ※1、※2:【みなとみらい線沿線さんぽ】近代横浜の始まり -開港地での共存-
- ※3:宿=ヤドを逆さ読みした表現です。かつてその劣悪な環境が「宿に値しない」と判断されたことから、居住者たちの間で皮肉を込めてそう呼ばれるようになったという隠語がルーツです。
- ※4:公共職業安定所=ハローワークの機能は、既に新港ふ頭の新合同庁舎へと移転済みです。
- ※4:【みなとみらい線沿線さんぽ/グルメ】よこはま新港合同庁舎と食堂
Info
- 公益財団法人 横浜市寿町健康福祉交流協会 “寿地区の紹介“
- 国土交通省関東地方整備局 “横浜地方合同庁舎(仮称)整備等事業“

