【横浜中華街/簡易史】戦後横浜の南京町と、横浜中華街

元町・中華街(山下公園)駅

南京町から横浜中華街へ

第二次世界大戦終戦後。

のちの横浜中華街である当時の南京町では、「台湾支持派」と「大陸支持派」の対立が激化し、その争いは中華学校の分裂(※)をもたらします。

その後もしばしの間、激しい対立が継続していくこととなるのですが、

  • 華僑たちの生活が長らくに渡って日本に定着してきたこと
  • 台湾支持派が台湾出身者に限られなかったこと
  • 日中国交正常化を機として日本への帰化者が増加したこと
  • 「中国ブーム」が到来したこと

といったきな臭さを打ち消す好材料が重なり、現在の横浜中華街を作り上げる土台となって行きました。

全ては「第二次世界大戦の戦禍を被った横浜」の上に築かれた歴史であり、戦災からの復興と昭和の発展は、戦前とは異なる多様な要素が複雑に絡み合いながら進んでいきます。

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  • ※:台湾系の横浜中華学院が中華街に残留し、大陸系の横浜山手中華学校は中華街の外へ移転します
  • ※:【元町中華街エリア】横浜山手と女子校、外国人学校
  • 【横浜中華街/簡易史】20世紀の国際情勢と横浜の南京町

戦後の南京町とヨコハマ

戦後混乱期の南京町は、中華民国(現在の台湾)が第二次世界大戦の戦勝国となった恩恵を受けつつスタートします。

GHQによる施設や土地の接収を逃れることが出来た上、連合国としての立場や独自のネットワークを通じて物資を優先的に入手できたこと等々(※1)。数々の好条件の「後押し」によって早い時期から展開された華僑たちの自律的な活動は、物資不足が深刻だった時の日本にあって、まずは南京町や、近隣の野毛エリアでの大規模な闇市形成へとつながりました。

やがて日本が独立を回復し、闇市が当局の摘発対象となると、今度は日本へ来航する船員や米兵相手の商売、具体的にはバーやキャバレーなど夜の世界のビジネスに転じます。以降の南京町は、戦前とは異なる「華」を持つ、治安の危うさを孕んだ「夜の街」となってしまったことから、一般的な日本人客の足は遠のくことになりました。

「闇市」然り、「夜の街」化然り。

いずれも、時勢に適応した「当時なりの最適解」だったと言える舵取りではあったのでしょう。

実際「戦後、改めて街が荒廃した」という実態は、中心部のおよそ3分の1、港湾施設の9割を米軍に接収された横浜市中心部・港湾部全体にも共通する傾向だったことから(※2)、当時の日本で隆盛を極めていた映画産業は、南京町の持つ退廃的な雰囲気に「格好のロケーション」としての価値を見出します。

フィクションの世界において「南京町のリアル」が「横浜のリアル」を代弁できた理由もこの点(荒廃したのは当時の南京町のみではなかった点)に宿りますが、映画を通じて作られた、どこかスモーキーでアウトローなイメージで語られる機会が増えたことも「戦後のヨコハマ」の大きな特徴です。

邦画の全盛期である1950〜60年代。日活や東宝といった大手映画会社は、三船敏郎さん、石原裕次郎さん、長門裕之さん等々といった名だたる名優を起用した力作を数多世に送り出しますが、横浜を舞台とした個性的なご当地ソングも、この流れの中から生み出されることとなりました。

昭和の映画産業が作り出したこの流れは、後に生まれる「女性誌発の新しい流行」(後述)と絡み合いながら、少年漫画などのポップカルチャーへ引き継がれていきます。

「映画イメージ」ベースの荒んだ、あるいは尖った横浜が登場する創作作品は枚挙に暇がありませんが、例えば「Z2」ことカワサキ750RSの人気を不動のものにした「あいつとララバイ」(少年漫画)や、「不運(ハードラック)と踊(ダンス)った」というパワーワードでお馴染み「特攻の拓」(少年漫画)のほか、変わり種としては野球漫画の金字塔「ドカベン」(少年漫画)の明訓高校も、「横浜市内の高校」設定でした。

同様の傾向は家庭用ゲームや歌謡曲、Jpopの世界等々にも少なからず波及している跡が見えますが、もはや「横浜のイメージはそこで固定されてしまった」感も無きにしも非ずといったところでしょうか。

文明開化華やかなりし時代の只中にあって、メモリアルイヤー(開港50周年)を祝して作られた「横浜市歌」や、その時代の匂いがまだ残っていたとも取れる時代(1947年=昭和22年)に作られた「港が見える丘」(※3)などと比べると双方の違いはより鮮明になりますが、あれが横浜ならこれも横浜。

「横浜の南京町」もまた中心部の他エリア共々、ステレオタイプな「戦後のヨコハマ」の一部を形成することとなりました。

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Info

牌楼門(のちの善隣門)の建設

その一方で、戦後の混乱期一流だったといえるような南京町の荒んだ空気の中からも、やがて現在の横浜中華街へと繋がる流れが生まれます。

その第一歩として、昭和30(1955)年、南京町内部に後の善隣門に当たる牌楼門が建設されました。

当時すでに世界的な観光スポットとして高い人気を誇っていた「サンフランシスコのチャイナタウン」を模した南京町の観光地化がプランされた時、「本家」にあたるサンフランシスコのチャイナタウンに先んじで行われた牌楼建設で、扁額には「中華街」と記されました。

横浜の人間には南京町、隣接する東京の人間には支那しな町、華僑の人たちには唐人町と呼ばれていたそれ以前との比較では、「中華街」という呼称自体が類例のないものではあったようですが、この中華街表記をきっかけとして「南京町」から「中華街」へと、呼称自体が緩く変化を始めます。

当初「牌楼門」と呼ばれていた門もまた、「中華街」呼称の広まりに歩みを合わせるように、「赤門」や「善隣門」(扁額の裏面に掲げられた「親仁善隣」の言葉に由来)などの通称名でも呼ばれるようになっていきました(※)。

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Info・参考資料

横浜中華街と横浜元町 -1970年代以降の横浜中華街-

「ニュートラ」ブームと「ハマトラ」ブーム

1970年代初頭。横浜と同じ港町である神戸を起点として、女性ファッション誌が仕掛けた「ニュートラ」ブームが起こりました。

やがてオイルショックによって高度経済成長期が終わりを告げ、政府の政策も「安定成長」へと舵を切っていくことになる、その前夜のことですね。

ニュートラとは「ニュー・トラディショナル」(それまでの伝統的スタイルを踏襲しつつ、海外高級ブランドなどを取り入れた新しい「トラッド=伝統」)のことで、バブル期の日本で一世を風靡した「コンサバ」ファッションの原型にあたるスタイルのことです。

「コンサバ」とは語義的にはコンサバティブ=保守を意味していますが、ニュートラに始まった上品なトラッドや、高級ブランドを取り入れたファッションの延長線上にあることから、そう称されるようになりました。

神戸発のニュートラが隆盛を極めていた70年代半ば、横浜では「横浜ならではのニュートラ」=横浜トラディショナル、略して「ハマトラ」と命名されたファッションが、同じく女性ファッション誌によって仕掛けられます。

ニュートラ・ハマトラ共、仕掛けは女性誌、ブームをけん引したのも当時の若い女性たちですが、最終的には世代・性別を超えた流行となっていきました。

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Info・参考サイト

中華街と元町の相乗効果

ニュートラやハマトラが流行していたころの事情として、今ほど物流が発達していなかったことが挙げられます。関連のファッションアイテムを入手するためには現地、ハマトラであれば元町商店街に赴くよりほかなかったのが当時の事情であり、ブームの規模は今以上に人流の規模に直結していました。

この点、「ハマトラ」ブームの追い風となった事情として、

  • 1972(昭和47)年:日中国交正常化をきっかけとする「中国ブーム」の起点
  • 1973(昭和48)年:根岸線(※)全線開通
  • 1978(昭和53)年:横浜スタジアムのこけら落としが行われ、「横浜大洋ホエールズ」誕生

などを挙げることができます。

1970年代から80年代にかけての横浜では、「中国ブーム」が元町の集客に、のちの「ハマトラブーム」が中華街の集客に、それぞれ好影響を与え合ったという前提があったところ、70年代末には両スポットの徒歩圏内にプロ野球球団(及びそのフランチャイズ球場)が誕生し、「集客力」はさらに爆増します。

80年代後半には「バブル景気」がこの一連の流れをさらに追撃するのですが、全て別の動機で発生したそれぞれの動きが奇跡的に被った結果、エリアは大きく飛躍・発展します。

この時代以降、戦後の混乱期以来迷走が続いていた横浜中華街は現在のような一大グルメタウンへと急成長を遂げ、「ハマトラ」や「ニュートラ」が「コンサバ」という別名称のスタイルとなった頃には、「定番観光地・横浜中華街」は、元町商店街や横浜スタジアム共々、横浜中心部を代表するスポットとしての円熟期に入って行きました。

「牌楼門」の通称名として徐々に広まっていった「善隣門」の呼称が正式名称へと改められたのも、バブル景気がピークにあった1989(平成元)年、「二代目」竣工時のことです。

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  • ※:元町や中華街の最寄り駅は石川町駅で、開業はみなとみらい線のほか沿線駅同様、1964年です。
  • 【MM線の沿線駅/JR根岸線】石川町駅 -構内・ロケーション・交通案内-
  • 【横浜中華街/簡易史】20世紀の国際情勢と横浜の南京町
  • 【日本大通り/関内】横浜公園(JR関内駅前、日本大通り傍)
  • 【日本大通り/関内】横浜スタジアム(横浜公園内、日本大通り傍)

Info・参考資料

  • 山下清海「横浜中華街」筑摩選書(2021.12.15)
  • 『横浜タイムトリップガイド』(講談社、2008.9.27)
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