【元町中華街エリア】山下公園(大さん橋、横浜中華街傍)

元町・中華街(山下公園)駅

山下公園の誕生と再生

  • 大正12(1923)年:関東大震災発生
  • 昭和5(1930)年:山下公園竣工
  • 昭和20(1945年)年:終戦と同時に連合国軍が接収
  • 昭和34(1959)年:接収の全面解除
  • 昭和36(1961)年:公園再整備完了

「開港地・横浜」がさらなる発展の時を迎えていた大正末期。

大正12(1923)年9月1日に、当時の首都の様子を一変させた関東大震災が発生しました。

耐震設計などなかった当時(※)、昨日まで華やかだった開港都市の元外国人居留地は、大地震とその後発生した火災によってほぼ全域が廃墟と化します。人的な被害も深刻な規模だったことから、以後約数か月に渡ってその状態が放置されることになったのですが、やがて復興が本格化しました。

地震発生から4年後の昭和2(1927)年、グランドホテルの後身として現在のホテルニューグランドが開業し、新たに横浜の名物ホテルとして「復興」を遂げると、その3年後の昭和5(1930)年には山下町のがれきや元町百段のがけ崩れ等を利用して作られた山下公園が竣工、開園する運びとなりました。

ようやく関東大震災からの復興を遂げた一帯ではあったのですが、不運なことに昭和20(1945)年の終戦を境として、またしても「山下公園エリア」の運命は暗転します。

連合国軍、というよりは特に米軍の先遣隊などで構成された進駐軍司令部(のちのGHQ)の最初の拠点とされたのはホテル・ニューグランドでしたが、現在の山下公園通りを挟んでそのニューグランドに隣接する山下公園は「米軍兵舎の設置エリア」とされました。

同時に、周辺エリアでは「軍政・占領統治上の拠点」として戦後が始まります。

近隣の横浜税関ビルが米陸軍の第八軍司令部となったことからエリア自体が重要拠点化し(※2)、同時に、時の横浜中心部では米兵による暴行・強盗・強姦等重大犯罪が多発した様子も当時の新聞に残されているようです(※2)。

つまりは戦後間もなく訪れた占領統治期、「かつての華やかだった横浜」は一旦遠い過去のものとなってしまったということで、次なる転機をサンフランシスコ平和条約発効(1952=昭和27年4月28日)による日本の独立回復に待つことになります。

横浜中心部では早くも昭和20年代には市民発の「接収地返還請求」運動が活発化していたようですが(※3)、この「サンフランシスコ講和発効=独立回復」の節目を境として「ボロボロにされた横浜」が米軍から漸次返還される運びとなると、その一連の流れの中、接収開始から14年後の昭和34(1959)年に山下公園は全面返還され、さらに2年後の昭和36(1961)年には公園としての再整備が完了しました(※4)。

山下公園が横浜市に返還され、かつ公園としての整備が完了した昭和36(1961)年にはマリンタワーが開業し、さらにその翌年には山手地区にて港の見える丘公園が開園します。

「丘公園」の開園も山下公園同様、接収解除に時を合わせたものですが、この時点ですでに終戦からおよそ15年が過ぎていました。時の経済白書が「もはや戦後ではない」と謳い、国民一般により一層の精進を呼びかけたのがその数年前(昭和31=1956年)だったという時期ですね。

概ねこの頃から「今につながる横浜」の復興・発展が本格化するのですが、山下公園の再開園は、マリンタワー竣工や「丘公園」開園共々、横浜市にとってその象徴となりました。

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  • ※:耐震基準が初めて法的に制定されたのが関東大震災後、その後昭和25(1950)年には福井地震を契機とした建築基準法が制定され、以降は昭和53(1978)年の宮城県沖地震発生、平成7(1995)年の阪神淡路大震災発生をそれぞれ契機とする形で耐震基準がさらに強化され(新基準はそれぞれ1981年、2000年より施行されました)、今に至っています
  • ※2:米陸軍の第八軍司令部はやがて日本全国の軍政の執行を担う組織となっていくのですが、その一方で頻発した「米兵の不祥事」に関する報道は、程なく「公共の安寧を妨げるニュース」として報道規制の対象となり、紙面から姿を消していきます。GHQが主導した当時の報道規制・民間検閲のリアルについては江藤淳著「閉ざされた言語空間」(文春文庫、1994.1.10)にて詳細にまとめられていますが、現代日本の愚にもつかないマスコミ報道の原型は、およそこの時期に形成されました
  • 【みなとみらい線沿線さんぽ】開港都市・横浜の発展と関東大震災
  • 【元町中華街エリア/山手本通り】高田坂と元町百段公園
  • 【元町中華街エリア】ホテルニューグランド(山下公園前、中華街傍)
  • 【元町中華街エリア】山下公園通り(山下公園前)
  • 【元町中華街エリア/山手本通り】港の見える丘公園

Info・参考資料

  • ※2:栗田尚弥「米軍基地と神奈川」(有隣新書、平成23年12月8日)
  • 高村直助「都市横浜の半世紀」(有隣新書、平成18年3月25日)
  • ※3:中区制50周年記念事業実行委員会『横浜・中区史』(昭和60年2月1日)
  • ※4:横浜市公式サイト “山下公園“、”中区歴史年表“、”戦後の接収と市街地の返還

山下公園東部

水の階段・石のステージ

公園内東端にあるのは、世界の広場、水の階段、石のステージ、お祭り広場です。遠く山下公園の向こうにはみなとみらいの高層ビル群が臨めますが、公園前の通りに架けられた陸橋・ポーリン橋は、この付近に向かって伸びています。

「水の階段」と、

「石のステージ」です。

二つ合わせて、どこか解体前の深海魚が斜めに吊るされたようにも見えるオブジェですが、

毎年春、この一帯は満開の桜で華やかとなり、

続く梅雨時にはアジサイが見事な一帯となります。

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  • 【元町中華街エリア】フランス橋とポーリン橋(港の見える丘公園・フランス山地区から山下公園へ)

お祭り広場

マリンタワーの向かいあたりのエリア、石のステージの隣は「お祭り広場」と呼ばれていて、その名の通り、屋外にあるイベントスペースとして機能します。

イベント開催時には人でごった返すことも珍しくありませんが、普段はその限りにあらず。

広場内には、東端から中央エリアへの舗装路も用意されています。

山下公園中心部

定期観光船のりば・日本郵船氷川丸

前記したお祭り広場の少し先、後述する「未来のバラ園」の海側には、「シーバス」「マリーンルージュ」などの定期観光船乗り場、および「日本郵船氷川丸」(国指定重要文化財)停泊エリアがあります。

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Info

未来のバラ園と枝垂桜

「お祭り広場」の隣は、未来のバラ園です。

毎年初夏と秋の終わりはバラがとても華やかですが、

そのすぐ隣では毎年春、「ニューグランド」と氷川丸に挟まれた一帯で咲き誇る枝垂桜が、

山下公園名物の一つとなっています。

中央口付近

山下公園通りの「中央口」交差点付近は、一般的にイメージされる山下公園がそのまま用意されているようなエリアです。

中華街の東門付近からまっすぐ歩くと、「中央口」に辿り着きます。

中央口付近には水の守護神像・噴水が設置されています。

山下公園通りを背にして、右側が前記したバラ園、左側が後述する芝生広場等々で、ニューグランドやマリンタワーといった近隣の「横浜名物」は、位置的に中央口の右側(東側)にあたります。

海側では氷川丸が視界に入りますが、「もし山下公園で一枚だけ記念写真を残すなら、ここがお勧め!」というエリアが中央口付近ですね。

芝生広場

芝生広場は、中央部に「赤い靴はいてた女の子」像(後述)がある、芝生と花壇で作られたエリアです。現役の国際港である大さん橋国際客船ターミナルを間近に見据え、

平日休日、昼夜を問わず多くの人が訪れる一帯となっています。

広く海に面しつつも内陸側のマリンタワーやホテルニューグランド等を眺めることも出来るため、朝は朝の、昼は昼の、夜は夜の、それぞれ特有の雰囲気を楽しむことが出来ます。

「未来のバラ園」と並んで山下公園「らしい」一帯ですが、中でも春・秋の夕暮れ時〜夜にかけての海側ベンチで過ごすひと時は特におすすめです。

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  • 【日本大通り/象の鼻】大さん橋国際客船ターミナル(日本大通り、象の鼻パーク傍)

「赤い靴はいてた女の子」像

その昔、諸般の事情によって「異人さんに連れられて行っちゃった」(かもしれない?)、あかいくつを履いていたとされる女の子の像が飾られています。観光周遊バスあかいくつ号の「あかいくつ」は、像になっている女の子が履いていたとされる「あかいくつ」に由来しています。

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山下公園西部

「西洋理髪発祥の地」モニュメント

公園の西側には、明治2年(1869年)、日本初の西洋理髪店が開業された、すなわち「西洋理髪発祥の地」であることを記念した像「ザンギリ」が置かれています。

2021(令和3)年、中華街大通り沿いの「開業地」には、「西洋理髪発祥の地」記念碑が置かれました。

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  • 【横浜中華街/元町中華街エリア】中華街大通り(横浜中華街のメインストリート)

インド水塔周辺

「水塔」は、関東大震災時に被災したインド人を救済したことに対して、山下公園竣工後にインド側からの返礼として贈られました。この付近は山下公園内では西端エリアにあたりますが、付近ではしばしば大道芸などのパフォーマンスが行われています。

開港広場公園なども近くなる一帯ですが、公園の西端には陸橋経由で大さん橋・象の鼻パーク方面へと向かう「山下臨港線プロムナード」の入り口があります。

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  • 【日本大通り/象の鼻】開港広場公園と周辺エリア(大さん橋、日本大通り傍)
  • 【日本大通り/象の鼻】象の鼻パーク(日本大通り駅最寄り、大さん橋傍)
  • 【日本大通り/象の鼻】大さん橋国際客船ターミナル(日本大通り、象の鼻パーク傍)
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