【元町中華街エリア】あかいくつ履いてた女の子のお話

元町・中華街(山下公園)駅

童謡「赤い靴」

「赤い靴履いてた女の子」像は、山下公園内の芝生広場中央エリア内(やや北西寄り)の海沿いに置かれています。

「赤い靴履いてた女の子」は、童謡「赤い靴」(※)の主人公ですが、

昭和54(1979)年、市民からの募金で作られた像の除幕式が行われました。

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  • 【元町中華街エリア】山下公園(大さん橋、横浜中華街傍)

Info

「赤い靴履いてた女の子」の気持ちは、どちら向き?

童謡「赤い靴」では、「赤い靴を履いていた女の子が、横浜から外国人(※)と共に海外へ渡航していった」ことが、どこか物悲しい出来事として歌われました。

童謡が歌ったのは、単純に「赤い靴履いてた女の子」が無事渡航できた後、渡航先にて日本を思った上での「もの悲しさ」(※2)なのだという話しであれば、その場合は渡航前の日本での懐かしい日々にポジティブなイメージが宿ると捉えるのが自然な解釈でしょう。

すなわち、童謡と共にある少女像から伝わって来るどこかもの悲しいイメージは、ホームシック的な感情がベースになっているのだと捉えることができるものとなりますが、実は「赤い靴履いてた女の子」の話しには、「海外への渡航」の有無や「赤い靴を履いていたか否か」など、話しの根幹にかかわる部分についての論争があります。

論争というよりは、「赤い靴の女の子」には創作の他に実在のモデルが存在していたのだということが、昭和の世に出版された著作によって明らかにされました(※3)。

童謡のモデルとなった「女の子」(岩崎きみちゃん ※4)は、故郷である静岡県から母親と共に開拓地(北海道留寿都村)へ移住したのち、故あって(当時の開拓地の環境の厳しさ等々から)外国人宣教師に託されることになった、その後残念ながら函館からの海外渡航を前にして、当時は不治の病であった結核で亡くなってしまったようです(※5)。

そのため、メロディや像がまとうもの悲しさとは裏腹に、モデルとなった実在の女の子の方に宿るのは、一見したところでは「海外渡航を前にして、渡航が実現しなかった」ことと共にあるもの悲しさであるかのようにも映ります。

「女の子」の感情のベクトルも、前途への期待にポジティブなイメージが宿っているのだろうと捉えれば、ホームシック的な感情をベースとする「童謡が形成する一般的なイメージ」とは真逆の解釈として伝わる部分が出てくることになるでしょう。

しかし実話の細部を紐解くと、女の子が母親と遠く離れた函館の地で別れたのはわずか3歳の時であり、その後母親と再会することのないまま、9歳で亡くなっていることが分かっています(※3)。

渡航の成否云々の前に、幼くして訪れた肉親との生別こそが、母子双方にとってこれ以上なく辛い出来事であったことは想像に難くありません。この点を含めた場合、童謡や像から伝わる一般イメージにしても、あながち見当違いのものだとは言い切れない、深い含みへつながっていきます。

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  • ※:ベースとなった実話では、アメリカ人宣教師だったとされています
  • ※2:女の子個人の主観それ自体ではなく、あくまで作詞者の主観や当時の世の空気が「女の子の海外渡航」をとらえたイメージです
  • ※5:実話の舞台となった函館にも、女の子の像が置かれています

Info・参考資料

事実に基づいた「創作」であるということ

海外に開かれた観光地にふさわしい「物語」としては、やはり海外渡航にポジティブなイメージが宿っている方が無難であり、受け取り手の心にも、物語に沿った何らかのロマンを掻き立てます。

しかし(特に童謡にまつわる)一般イメージとしては、「実際に渡航できたからこそ、もの悲しいイメージが宿る物語として成立しているのだ」と捉える解釈が優勢であるようにも伝わります。

創作では「渡航できた」、モデルでは「渡航できなかった」。

すなわち、海外への渡航を前向きに捉えたい観光地的な視点と、実際の悲劇に立脚した視点。

この双方を矛盾なく「どちらも正解である」という自然な結論に落とし込むのであれば、例えば、女の子は不治の病で帰らぬ人となってしまったという「実話」に沿った捉え方として、外国人宣教師さんは「赤い靴履いてた女の子の魂」を遠い国へ連れて行ったのだ、という解釈が無理なくフィットしそうです。

和洋折衷の甘美な魅力を持つ「大正ロマン」真っ只中の時代に作られた(※)、童謡特有の暖かく優しい含みを持った歌が「赤い靴」なのだと捉えれば、現実と「創作」要素双方がいい具合に調和しているように見えなくもありません。

改めて、後世に残された童謡の懐の深さを思い知らされるようですが、ともあれ。

著名な童謡、およびその背景にあった悲劇を内包した像は、今日も花壇に囲まれて、山下公園から横浜港を見つめています。

◾️関連ガイド

  • ※:童謡「赤い靴」は、大正11年に作られています
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