about 新港ふ頭
新港ふ頭は、かつて日本初の近代的な岸壁式ふ頭として横浜港の物流・貿易を牽引し、現在は観光・文化交流拠点へと舵を切ったウォーターフロントエリアです。

みなとみらい線では日本大通り駅とみなとみらい駅の間に位置しています。
体感的な最寄駅はその間の馬車道駅で、
- 日本大通り側から:新港橋梁(新港橋)で
- 馬車道駅傍から:万国橋通りにかかる万国橋で
- みなとみらい側内陸部から:汽車道で
- みなとみらい側沿岸部から:国際橋・女神橋で
- 桜木町駅前から:ロープウェイ「横浜エアキャビン」で
以上複数の経路でそれぞれ陸側と繋がれているほか、「ピア赤レンガ」やシーバスのハンマーヘッド乗り場など、ふ頭内の観光船発着場経由で、海路でも近隣エリア(山下公園、横浜駅東口など)と繋がれています。
◾️関連リンク
Guide
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- 【みなとみらい線全駅情報】 馬車道(横浜市役所)駅 -構内・出口・乗換案内-
- 【みなとみらい線全駅情報】 みなとみらい駅 -構内・出口・乗換案内-
- 【日本大通り/象の鼻】象の鼻パーク(日本大通り駅最寄り、大さん橋傍)
- 【馬車道エリア/万国橋・新港ふ頭】万国橋通り(馬車道駅界隈、馬車道商店街・新港ふ頭傍)
- 【馬車道エリア/桜木町駅前】汽車道(桜木町駅前発、新港ふ頭、ロープウェイ並走)
- 【みなとみらいエリア】女神橋(ぷかりさん橋、カップヌードルミュージアムパーク間)
- 【みなとみらい線沿線の移動手段】ロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」
- 【みなとみらい線沿線の移動手段/まとめ】沿線発着の定期観光船
Info
- 横浜市公式サイト “新港ふ頭“
沿革
新港ふ頭竣工

明治中期までの横浜港では、沖合に停泊した本船と陸の間を小舟で行き来する荷役が主流でした。
この非効率解消、さらには貿易規模拡大に伴う港湾施設の拡張が望まれたことから、大型船が直接接岸できる本格的な係船岸壁として造成されたのが新港ふ頭です。
1899(明治32)年に着工し、1914(大正3)年に竣工しました。
この頃、隣接する内陸部にあたる現在のみなとみらい地区中心部では、すでに1890年代に創業した「横浜船渠(のちの三菱重工業横浜造船所)」が稼働していました。
このことから、新港ふ頭の港湾・倉庫機能と横浜船渠の造船・修繕機能は、
- 新港ふ頭に大型貿易船入港
- 積荷を下ろす
- 隣接する船渠のドックで修繕や点検
- 再び航海へ出る
というように、より効率よく表裏一体となって、近代横浜の港湾産業を支えていくことが可能となります。
新港ふ頭内で忘れてはならない施設といえば、今やエリアの代名詞ともなっている「赤レンガ倉庫」が挙げられますが、大蔵省によって「横浜税関新港埠頭保税倉庫」として建設された同倉庫は、2号倉庫が1911(明治44)年、1号倉庫が1913(大正2)年に竣工します。
「保税倉庫」とは、関税の支払い前の外国貨物を(輸入許可が下りるまでの間)保管するための倉庫で、北側(みなとみらい側)にあるのが1号倉庫、南側(日本大通側)にあるのが2号倉庫です。
「赤レンガ倉庫」共々、構内には鉄道の貨物線(旧横浜港駅)やクレーン設備がいち早く整備され、陸海を結ぶ最新鋭の物流の中枢として華々しい盛期(明治末・大正年間)を迎えるのですが、残念ながらやがて関東大震災、第二次世界大戦、さらにはその後のGHQによる接収期(1950年代に始まる返還期に至るまで、ほぼ全面接収)という、エリア一帯にとっての想定外の冬の時代へ突入します。
その間、特に戦後の接収期は、一般の商業港としての利用は大きく制限されました。
日本側への施設返還時、高度経済成長期を迎えていた貿易の現場では、貨物のコンテナ化と船の大型化が急速に進展していました。
この現実に対して、やがて新港ふ頭の施設は「時代の進化」と足並みを揃えることが難しくなって行きます。
MM21計画と新港ふ頭
結論として、主要な港湾機能は新港ふ頭から山下ふ頭、本牧ふ頭、大黒ふ頭、南本牧ふ頭等々、より外洋側へ移転していくことになったのですが、その一方で、役目を終えつつあった新港ふ頭には、1980年代に本格始動した「みなとみらい21(MM21)」事業が一大転機をもたらします。
横浜駅周辺(市内最大の商業地区)と関内地区(伝統的官庁・ビジネス街)の分断解消のため、造船所跡地を中心としたエリア(現・みなとみらい地区)を副都心化するという、「混乱と発展を同梱し続けた横浜の総決算」的意味合いを持つ都市計画において、新港ふ頭を中心とする新港地区が「歴史的景観を活かした賑わいと憩いの場」として位置づけられたことが、全ての始まりです。
「総決算」では横浜発展の功労エリアに対し「第二の人生」が用意された形ですが、落書きだらけの廃墟と化し、一時は解体も検討された赤レンガ倉庫は、横浜市が国から取得して保存・改修を行うと、2002(平成14)年には文化・商業施設として再生します。
初代横浜駅(現・JR桜木町駅)から赤レンガ倉庫に向けて敷設され、2号倉庫竣工と同年の1911(明治44)年に開通した臨港鉄道・税関線の廃線跡が「汽車道」として遊歩道化されているほか、かつての横浜港名物であった「ハンマーヘッドクレーン」も景観資源として保存されています。
平成半ばに始まったこれらの動きは、令和の今も発展・継続しています。
◾️関連リンク
Guide
- 【馬車道エリア/万国橋・新港ふ頭】赤レンガ倉庫・赤レンガパーク(新港ふ頭内)
- 【馬車道エリア/万国橋・新港ふ頭】横浜ハンマーヘッド(マリンウォーク隣)
- 【馬車道エリア/万国橋・新港ふ頭】新港ふ頭の大型商業施設一覧(みなとみらい線馬車道駅最寄り)
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