【横浜中華街/史跡・寺社・公園】「日本の電話開通」と横浜中華街・横浜中心部

元町・中華街(山下公園)駅

日本の電信事業、および電話交換業務の発祥地がともに横浜であるという縁で、現在でも横浜中心部にはNTT関連の施設が密集しています。

発祥期の事情や「かつての機能」関連の主なところでは、

  • 1869(明治2)年:東京・横浜間で日本初の電信事業開始。日本大通り駅スタジアム出口そば、横浜地検前に「電信創業の地」碑。
  • 1890(明治23)年:東京・横浜間で日本初の電話交換事業開始。日本大通り駅大さん橋出口傍に「電話交換 創始之地」碑。
  • 1929(昭和4)年:日本大通りエリアに「横浜中央電話局」竣工。完成したビルはのちに「横浜市外電話局」として継承利用(現在の横浜ユーラシア文化館・横浜都市発展記念館)。

現在もそれぞれの碑、ないしは跡が横浜中心部に残されていますが、戦前(明治から昭和初期にかけて)の横浜港は日本の貿易・外交の国内最大拠点だったことから、旧逓信省(※1)は横浜中心部に「大規模な海底ケーブル関連の設備(※2)や、国際・市外通話用の設備を集積させる」という形で事業展開を進めます。

この方針は、のちの電電公社にも概ね引き継がれることになりました。

具体的には、1929(昭和4)年に日本大通りエリアに竣工した逓信省の「横浜中央電話局」がのちに電電公社の「横浜市外電話局」として機能することになるなど、戦前・戦後にかけては電信・電話の中枢機能が集約されたまま進むのですが、高度成長期が終わり、昭和が終わりに向かった「国政・横浜市政の大転換期」には、この「従来型」が大きく変動します。

国の中央では電電公社がNTTに改組され、横浜ではMM(みなとみらい)21計画が目に見えて形になり始めたということで、いわゆる「みなとみらい地区」の副都心化が進展すると同時に、かつての中枢インフラの再利用が進んだ結果、今の日本大通り(関内地区)から横浜中華街にかけての一帯では、「現役の通信インフラを抱えた電信・電話産業」としての活動以上に、より地域貢献活動(CSR)色が強まった活動が目立ち始めます。

主要施設の移転云々もさることながら、のちのインターネット通信の普及・進展に代表される技術革新によって、「インフラのデジタル化・省スペース(コンパクト)化」も同時に実現したためですね。

結果としてNTTには種々の「ゆとり」が生まれ、尚且つ時勢ともあいまったことによって、活動の色合いも変化するに至りました。

例えば中華街やその近隣に位置する元町商店街での無料Wi-Fiの提供のほか、長安道・太平道他が形成する五叉路の交差点付近や北門通り沿い(大さん橋傍)のNTTビル前(現在大規模改修工事中)などに、1990(平成2)年、「日本国内の電話開通100周年」を記念したタイルが設置され、さらに開港道沿いには「かつて」を思わせるレトロな電話ボックスが設置されました。

中華街エリアからは少々離れますが、同年には山手本通り沿い・元町公園前にも、1900(明治33)年に東京・京橋に初めて設置された電話ボックスと同型のものが設置されています。

◾️関連リンク

Guide

  • 【みなとみらい線全駅情報】 日本大通り(県庁・大さん橋)駅 -構内・出口・乗換案内-
  • ※1:逓信省が郵政省と電気通信省に分割されたのち、電気通信省が電電公社へ、郵政省はさらにその後自治省・総務庁と統合される形で総務省へという省庁再編が、戦後昭和〜平成期という長い時間軸の中で行われました。「電電公社」という国営型の組織がNTTという民間企業に改組されたことは、その集大成の一つにあたる組織改組です。
  • ※2:横浜中心部は、海底ケーブルを海から直接陸揚げする場所としてではなく、海底ケーブルの運用・管理・中継拠点として要所化していました。
  • 【日本大通り/象の鼻】日本大通り(銀杏並木、神奈川県庁、横浜開港資料館etc)
  • 【横浜中華街/元町中華街エリア】長安道(堀川・西の橋付近から中華街内・開港道へ)
  • 【横浜中華街/元町中華街エリア】上海路、太平道、南門通り(蘇州小路)、媽祖小路
  • 【横浜中華街/JR石川町駅エリア】北門通り(日本大通り・横浜公園から善隣門へ)
  • 【元町中華街エリア/山手本通り】元町公園と自働電話(白い電話ボックス)
  • 【横浜中華街/元町中華街エリア】開港道(中華街東門傍から大さん橋通り方面へ)

Info・参考資料

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