「横浜の下水道のはじまり」碑

長安道・太平道等々が交差する五叉路に、「横浜の下水道の始まり」碑が置かれています。
日本の下水道の歴史は、明治3(1870)年、当時の山下居留地全域に近代的下水道が設置されたことで幕を開けますが、その後明治14(1881)年、山下居留地の下水管は、断面が卵型をしていることから「卵型管」と呼ばれたレンガ造りの下水管に、新たに置き換えられることとなりました。

この卵型管は現在でも南門シルクロード地下で使われているようですが、昭和56年2月、その卵型管が山下町内(※1)で発掘されたことを契機として、中土木事務所が置かれた一画内、石碑の傍に並べて設置されることになりました。
ほか、元町中華街エリアの近代下水道関連の碑としては、「横浜市の下水管の総延長が、平成7年11月に1万kmに達したこと」を記念する碑が、山手地区の桜道沿いに設置されています(※2)。
◾️関連リンク
Guide
- ※1:山下町37番地先。現在ヘボン博士邸跡の碑が置かれている付近です。
- 【元町中華街エリア】ヘボン博士邸跡(元町中華街駅最寄り、フランス橋傍)(※1)
- 【横浜中華街/元町中華街エリア】南門シルクロード(横浜中華街から元町商店街へ)
- 【元町中華街エリア/山手本通り】桜道(本牧通りから山手本通りへ)(※2)
Info
長安道と五叉路、中華街の区画
上記「下水道碑」傍の交差点は、

開港道(中華街北端付近)方向へと伸びた長安道、

元町商店街(西の橋)方向への道(堀川沿いの道へと伸びたバイパス)、

JR根岸線・石川町駅方向に伸びた道(突き当たり左が本牧・山手方面、右が関内駅前方面)、

横浜スタジアム(横浜公園)方向に伸びた道、

南門シルクロードに向かって伸びた太平道、という形で、通常の交差点ではなく変則的な五差路となっています。

これは中華街中心部の区画が周辺の区画に対して斜めに傾くように整理されていること、さらには長安道がその境目に位置する道であることに、根本的な理由があります。
もう一歩遡って「なぜ、そういう区画になったのか」と言えば、中華街の区画が、風水的にも理に適っていた「旧・横浜新田」の区画をそのまま利用したことによっています(※)。
◾️関連リンク
Guide
- 【横浜中華街/簡易史】旧・中国人居留地と横浜の南京町(※)

