エリスマン邸は、元町公園内、山手本通り沿いに位置する西洋館です。
大正15(1926)年竣工のこの西洋館が大きな転機を迎えたのは、「歴代最長元号」である昭和が末に近づきつつあった、昭和57(1982)年のことでした。
同年、旧所在地で計画されたマンション建設を前に「現・エリスマン邸」は取り壊しの時を迎えていたのですが、建築物の歴史的価値を確信していた横浜市は、「解体」に介入する形で建物を買取り、保存のための解体・調査を進めます。
結果、解体が始まっていた建物は「近代建築の父」といわれるチェコ人建築家・アントニン・レーモンド氏設計の貴重な建物であると発覚したことから、
山手町の東部(山手町127番)にて終焉の時を迎えるはずだった西洋館の運命は一転し、
以降、元町公園内・山手本通り沿い(現在地)への移築作業が進められることとなります。
その後、平成に入ってほどない1990(平成2)年。
かつての主、スイス系商社(シーベル・ブレンワルド商会。以下、「シーベル社」※)の商社マンだったフリッツ・エリスマンさんの名にちなんで「旧エリスマン邸」と呼ばれていた西洋館は、横浜市の管轄下、元町公園の西洋館=「エリスマン邸」としての一般公開が始まりました。
シーベル社の日本国内での起点は幕末の1865(慶応元)年、横浜で生糸貿易を始めたことにあります。
やがて同社は日本の生糸貿易(生糸の輸出)で大きな役割を果たしつつ、時計など精密機械の輸入を促進し、日本国内においては横浜・銀座でのガス灯設置時、ガスを供給するプラント設置に協力するなど、日本社会に根付いた活動を進めていた会社だったようです。
結果論ではありますが、「旧エリスマン邸」は「旧・居留地中心部」への移転に相応しい西洋館だったんですね。

「旧エリスマン邸」時代。エリスマンさんは日本人の奥さんと共に暮らし、奥さんは和館部分に住んでいたとされていますが、現在のエリスマン邸には和館部分は存在しません。
取り壊し中止に間に合わず既に取り壊されてしまっていた上、設計図が存在しないために復元も不可能だったことに理由があるようです。
「現存する西洋館には元々あったはずの和館部分が存在しない、洋館部分だけが残されている」という点、同じ山手地区にあるイタリア山庭園の「外交官の家」を思わせるような顛末ですが、エリスマン邸の和館部分は結構立派なものだったようです。
仮に和館部分も残されていた場合。
エリスマン邸自体が今現在の雰囲気とはまた違った雰囲気を持つ建物であったことも十分考えられるところですが、その場合は現在の元町公園内の雰囲気にしても然り。
一帯は、現在とはまた違った雰囲気を醸していたことでしょう。
◾️関連リンク
Guide
- 【元町中華街エリア/山手本通り】元町公園
- 【元町中華街エリア/山手本通り】元町公園・西洋館エリア
- 【元町中華街エリア/山手本通り】イタリア山庭園(JR石川町駅最寄り、山手本通り傍)
- 【元町中華街エリア/山手本通り】外交官の家、ブラフガーデンカフェ(イタリア山庭園内)
- 「シーベル社」はのちにシイベルヘグナー株式会社へ社名変更。現社名はDKSHジャパンです(※)
Info
参考資料
- 横浜開港資料館公式サイト “生糸貿易の発展とスイス系商社“
- DKSHジャパン公式サイト “日本におけるDKSHについて“
- 神奈川新聞社『横濱』vol.71 2021年新春号、令和3年1月15日

