about 三溪園
沿革
横浜を代表する日本庭園・三溪園は、明治39(1906)年に開園しました。
庭園名は、三溪園を開園した原富太郎さんが文化・芸術活動において使っていた「号」(本名とは別の呼び名である「三溪」)に由来がありますが、元々は「三溪」原富太郎さんの義理の祖父にあたる原善三郎(※)さんの所有地だった現在地が、善三郎さんの逝去(明治32年)をきっかけとする形で日本庭園に姿を変えていくこととなりました。
結果、明治35(1902)年に開始された造園整備は4年越しで形になり、明治39年の三溪園開園へと結びつきます。

昔の三溪園に建立されていたという原善三郎さんの像は今も園内の説明板に残されていますが、関東大震災被災による倒壊後、再建されることなく今に至っているようです。
「三溪」こと原富太郎さんはしばしば若く才能がある画家のパトロンとなっていたようで、かつての原家の住居にあたる三溪園内・鶴翔閣(後述)には、日本美術院の画家達も出入りしていたようです。
三溪園関連の書籍・記事には、しばしば「社交場として機能していた三溪園」の興味深いエピソードなども遺されていますが、例えば横山大観(画家)、下村観山(画家)、岡倉天心(史家、評論家)といった近代日本美術界のビッグネーム、さらには富太郎さんの長男の旧制中学時代の同級生だった縁から、作家になって間もない時期の芥川龍之介とも(三溪園を介して)縁があったことなどは、しばしば話題となります。
◾️関連リンク
Guide
- ※:埼玉の豪農から横浜の生糸商へ転身し、「生糸」で身を立てたのちには国会議員を歴任されました。
- 【みなとみらい線沿線さんぽ】横浜開港と日米和親条約、日米修好通商条約(国交樹立と通商開始)
- 【みなとみらい線沿線さんぽ】開港都市・横浜の発展と関東大震災
Info
三渓園の開園と本牧エリア
横浜開港以前の本牧地区(※)は、開港地となった横浜村同様、海岸沿いには風光明媚な漁村あり、内陸部には田園地帯ありという、どこか牧歌的な魅力を持っていたようです。
そんな本牧エリアにとっての大きな転機は、横浜開港と、そのことを遠因に持つ三溪園の開園でした。
横浜開港後、横浜港を起点とする貿易が発展の一途を辿り始めた明治・大正期。
本牧地区は三溪園の造園整備、および近隣地区の地域開発に歩みを合わせる形で、徐々にかつての姿を変えて行きます。三溪園も開園当初から今現在の形が整っていたのではなく、開園後、現在の鶴翔閣を中心とした造園整備によって徐々に整っていく、という形で整備が進みました。
開園当初は現在の外苑地区が24時間無料公開されていて、そのことは当時の新聞などでもかなり話題になったようですが、特に三溪園開園後の本牧地区は、ほぼ同時期に開通した市電(横浜電気鉄道・本牧線)の影響もあって、三溪園の知名度の高まりと共に開発が進みます。
三溪園の開園は既述のように明治39(1906)年、これに対して市電の開通が明治44(1911)年ですが、三溪園が開園し、市電が開通したことによって「本牧」の地名はより広く知れ渡ることとなって、一帯の開発もより促進されたという形ですね。
さらに時は流れ、第二次世界大戦後の昭和28(1953)年。
三溪園の管理が原家から三溪園保勝会へ移されると、その5年後(昭和33年)には原家が三溪園を所有していた時には非公開だった内苑地区(原家の私邸エリア)の一般公開が開始されるなど、公開形態はさらに現在の三溪園に近づくこととなりました。
◾️関連ガイド
Guide
- ※:中区内で山手・山下地区の南側に広がる一帯です。
園内に残された三渓園の今昔

遊歩道沿いでは、かつての三渓園の姿を来園者に伝えてくれる案内板が用意されています。

明治末の開園期の他、大正期のものも用意されていますが、それぞれの雰囲気がやや異なっているように見えるあたり、当時の造園作業が順調に進んでいることを感じさせる上、現在の様子ともかなり違っていることも伝わります。
開園情報/入園料/パーキングetc
開園時間
ライトアップ等のイベント時以外、9時~17時(最終入園16:30)
休園日
12月26日~31日
入園料
高校生以上900円、小中学生200円、市内在住65歳以上700円
ほか、団体割引等あり(公式サイト “入園料“へ)
園内ガイド
フリーガイド:10~12時、13時~15時30分の間、随時受け付け
定時ガイド(60分、内苑地区、30名まで):11時スタート/13時30分スタート
ほか、団体ガイドあり(公式サイト “ガイドボランティア“へ)
年間パスポート
高校生以上2500円、小中学生700円、市内在住65歳以上2000円
駐車場
最初の2時間1000円、以降30分毎200円、上限無し
大池周辺エリア
大池は三渓園の中心部に位置している、大きな池です。
三渓園の内部は、およそこの大池を中心として、
- 大池の西側:内苑地区(旧原家の私邸エリア)
- 大池の南側/東側:外苑地区(その昔の三溪園では24時間公開されていたエリア)
という形に区分けされていますが、正門から入って順路に沿う場合、大池を左手に見ながら内苑地区方向へと進みます。
大池と三重塔の景観

三渓園へ入園後、入ってすぐ左手に現れる大きな池が大池です。
池の向こうでは、「およそ三渓園内にいれば、どこにいたとしても大体視界に入って来る」という三渓園名物、国指定の重要文化財・旧燈明寺三重塔も早速視界に入ってきます。

三渓園内の中心に位置する大池には亀や鯉も住んでいる他、順路に沿って歩いていくと、池のほとりには三渓記念館、お茶屋さん、ベンチなども用意されています。

ちなみに大池に住む鯉の群れには中々迫力がありますが、

三渓記念館横の売店では鯉の餌も売っているので、すぐ近くまで寄って来る鯉に餌をあげることが出来ます。

大池横、道の奥(写真中央)にはかすかに鶴翔閣(後述)が見えていますが、大池沿いはそのまま遊歩道になっていて、鶴翔閣への道沿いには松が多く植えられています。
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鶴翔閣

大池のほとり、内苑地区の手前には、三溪園が原家の所有だった時代には原家の住まいだったという鶴翔閣が残されています。
現在、横浜市指定有形文化財に指定されている鶴翔閣では、施設の時間貸しも行われています。

本牧エリアの一角に位置する三溪園は、開園以来の時間の経過の中「牧歌的な風景の一部」から「作られた日本庭園」へと明確に姿を変えていくことになるのですが、一方で三渓園の周辺エリアについては、時機に即した都市開発が淡々と進められつつ今に至っているため、積み重ねられてきた時間の流れ、今現在流れている時間そのものが三溪園の内外で異なっているのが現状です。
そんな「時空のゆがみ」的な何かを自分の中に意識させられ始め、横浜の都心部にほど近いところにいながらにして「小さな旅」道中気分が本格的に喚起されはじめるのが、三溪園入園後、およそ鶴翔閣付近の一帯に足を踏み入れたあたりからです。

かつての鶴翔閣の姿は園内の案内書きに残されていますが、他の史料とも合わせて判断する分には、恐らくはこの風景が「その昔の本牧」とひとつながりになっていたのではないでしょうか。
ぱっと見で判断する分には「今は昔」を思わせるに足る一枚ですが、三溪園内にいるとそこまで遠い昔の風景のようにも思えなくなって来る部分もあるにはあるという、一つにはそのあたりも三溪園の大きな魅力ではないかと個人的には感じています。

鶴翔閣付近から望む大池の向こうには、橋(観心橋)が休憩所(涵花亭)へとかかっている様子を確認することも出来ますが、⠀この日本庭園的な空間は、昔から一貫している「三溪園内の風景」です。
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- 三溪園公式サイト “鶴翔閣“
内苑地区
園内でも特に重要文化財の密集地帯である内苑地区は、かつての三溪園では原家の私庭だったエリアで、三溪園内では北西部(鶴翔閣・大池の西側)に位置しています。国内外から「三溪」原富太郎さんの下を訪れる財界人・文化人も多かったため、近代日本文化・芸術にとっての有益な社交場ともなっていたようです。
三溪園に移築された国・横浜市認定の文化財の多くは、およそ室町~江戸期に造られているため、「明治期に造園された三溪園」だったとしても、「明治・大正期のヨコハマ文化」がそのまま残された施設だ、という体にはなっていません。
恐らくは開園当初にあっても「古き良き」を感じさせる空気に満ちていたのではないかと思われるところですが、以下、そんな内苑地区の主な見どころをまとめました。
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- 【本牧・根岸/三溪園】内苑地区と安土桃山・江戸時代
三渓記念館周辺

三溪記念館は、三渓園内中央部、大池のほとりかつ内苑地区入り口付近に設けられた施設です。
原三溪(富太郎)関連資料や美術品が常設展示されているほか、お土産品の購入や、抹茶を楽しむことも出来ます。
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- 【本牧・根岸/三溪園】三渓記念館と御門(大池傍、内縁地区入り口付近)
臨春閣・身代わり灯篭

三溪園の内苑地区で最初に目に入る大きな建物は、国指定重要文化財・臨春閣です。
大正6(1917)年、三渓園に移築されました。
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- 【本牧・根岸/三溪園】臨春閣と身代わり灯篭(国指定重要文化財)
亭榭(ていしゃ)

三溪園・内苑地区に位置する小さい池の向こう、臨春閣を望める位置にかけられた橋は亭榭と名付けられています。
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- 【本牧・根岸/三溪園】亭榭(ていしゃ。内苑地区の小さな池に架けられた橋)
月華殿/天授院/金毛窟/春草廬

月華殿は17世紀初頭の京都・伏見城にあった大名来城の際の控え所(1603年築)、天授院は鎌倉五山・建長寺近くに置かれていた地蔵堂の建物(1651年築)です。
共に、国指定重要文化財となっています。
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- 【本牧・根岸/三溪園】月華殿、天授院、金毛窟、春草廬(臨春閣西側、「坂の上」エリア)
聴秋閣

三溪園の内苑地区に移築された重要文化財・月華殿からの下り坂道に並行して流れる小川の先に位置しているのが、国指定重要文化財となっている聴秋閣です。
三溪園に正門から入った場合、月華殿や天授院等と並んで内苑地区でも一番奥に位置しています。
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- 【本牧・根岸/三溪園】聴秋閣(春日局ゆかりの重要文化財)
外苑地区・三重塔エリア
外苑地区は、三溪園開園当時から公開されていた「旧・24時間開放エリア」で、大池の南部・東部に位置しています(現在は他エリア同様、原則として日中のみ公開されています)。
見どころとなる三重塔へは、
- 入園後に大池を左手に見ながら道なりに直進し、
- 三溪記念館の先にて丘の上への坂道を登っていく、
というルートが順路となっていますが、「順路」の逆を進む場合、
- 入園後に左手の道へ、
- その先は大池を右手に見ながら道なりに、
- 旧東慶寺仏殿や矢箆原家住宅先、初音茶屋付近から丘の上を目指す上り階段へ
と進んでいきます。
以下、順路に沿って三溪記念館方向から三重塔を目指すルート(三重塔スタート)でまとめました。
三重塔エリアへ

三溪記念館前、原三溪さんの碑のすぐ後ろ当たりから、三重塔への坂道が伸びていますが、

階段を上りきった先で二手に分かれた道の左側へ進むと、三重塔方面です。
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松風閣(展望台)・出世観音

三溪園内、内苑地区と外苑地区の境目に位置する三溪記念館前付近から始まる上り坂を登り、最初の分岐を右側に進むと、展望台である松風閣へつながります。
◾️関連リンク
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- 【本牧・根岸/三溪園】松風閣(展望台)と出世観音
旧燈明寺三重塔

現在は三溪園のシンボルともいえる三重塔は、大正3(1914)年、京都の燈明寺(奈良時代に行基が開基したと伝えられる、由緒あるお寺です)から移築されました。
築年は1457年(康正3年、室町時代)で、園内の建造物中最も古い建物です。
◾️関連リンク
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- 【本牧・根岸/三溪園】旧燈明寺三重塔(三渓園名物の、丘の上の塔)
外苑地区・その他
初音茶屋・旧東慶寺仏殿

順路に沿って三重塔付近を通過し、丘を下ると、次に出てくるのはかつてはここで麦湯や香煎入りの白湯などが無料でふるまわれたという「初音茶屋」跡です。
「三重塔」コースを進まず大池に沿って園内を周る場合、三溪記念館の先で「お茶屋さん」エリアを通過します。
その場合は現在も営業中であるお茶屋さんの横を通過した後、一番奥に位置しているのが初音茶屋エリア、そのさらに先に位置しているのが旧東慶寺の仏殿です。
◾️関連リンク
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- 【本牧・根岸/三溪園】初音茶屋、旧東慶寺仏殿(三重塔の「ふもと」エリア)
- 【鎌倉街歩き/鎌倉三十三観音】東慶寺(JR横須賀線北鎌倉駅下車、円覚寺傍)
旧矢箆原(やのはら)家住宅

旧東慶寺仏殿のほぼ隣に位置する旧矢箆原家住宅は、合掌造りの住宅です。ダム建設によって一帯の水没が決まった昭和の半ば、世界遺産・白川郷から三溪園へ移築される運びとなりました。
丘の上の三溪園名物・旧燈明寺三重塔同様、貴重な文化財の延命措置にあたる移築ですね。
◾️関連リンク
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- 【本牧・根岸/三溪園】旧矢箆原(やのはら)家住宅(合掌造りの家)
待春軒/燈明寺本堂/観心橋

外苑地区の順路に沿って三重塔付近から下り坂を降り、旧矢箆原家住宅付近を過ぎると、あとは出口である正門への一本道が始まります。
順路に沿って進んだ場合には「最終盤」にあたる一帯ですが、この付近にも三溪園の見せ場は残されています。
◾️関連リンク
Guide
- 【本牧・根岸/三溪園】待春軒/燈明寺本堂/観心橋(外苑地区内、正門付近)

