【本牧・根岸】ほんのちょっとだけ懐かしい本牧エリア

元町・中華街(山下公園)駅

旧マイカル本牧5番街

正面に位置する建物は、最末期のマイカル本牧5番街(のちのベイタウン本牧5番街(※1)の前身にあたる商業施設)です。右側には「コナミスポーツクラブ」(以下、コナミ)の看板がありますが、この写真は2005(平成17)年のものです。

この写真の翌年のコナミ閉店によって「5番街全滅」となった記憶がありますが、元々マイカル本牧5番街のスポーツクラブがコナミになる前は、後のコナミスペースにコナミとは別のスポーツクラブが入居していたようです。マイカル閉館後、跡地にベイタウンが開業してからも、同様に旧コナミの居抜き物件にはフィットネスクラブが入居することになるのですが、その話はこの写真の時点ではまだ少々先のことにあたります。

それでもまだ盛期の面影が残されているように感じられなくもなかった、だからこそ「廃墟」感もより一層シビアに伝わってきた(ように感じられもした)頃の雰囲気ですね。

本牧地区が長らくの接収期間を経て日本側に返還されたのが「円安ドル高最盛期」の1982(昭和57)年、戦後日本経済の大きな転換点となったプラザ合意(※2)の1985(昭和60)年を経て、マイカル本牧の開業が「バブル経済絶頂期」の1989(平成元)年4月(※3)。

その後色々あってマイカル本牧が完全消滅したのが3.11直前の2011(平成23)年2月だったことと併せると、一帯は横浜市内でも有数の「失われた20年」象徴エリアでもありそうです。

マイカル裏手は今も昔も立体駐車場で、

そのさらに裏手にあるのが、「マシンガン打線」のベイスターズ日本一と同年、1998(平成10)年に開園した本牧山頂公園です。

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Info

Guide

  • ※1:2025年末を持って閉館し、現在は27年の新形態の開業に向けたリニューアル中です。
  • ※2:「円安ドル高」を追い風にした日本の輸出産業が好況の極みにあった頃、その真逆の立場に置かれていたのがアメリカ経済でした。この不均衡に対し「ジャパン・バッシング」にその典型が見られる(どこか理不尽かつ深刻な)貿易摩擦が生じたことを受ける形で、やがて1985年には主要先進国間で主要通貨のドル安誘導(協調介入)を取り決める「プラザ合意」が締結されます。この合意を機に急激なドル安(円高)が進むと、日本経済は一転して深刻な「円高不況」へと突き落とされました。
  • ※2(補):日銀はこの時、「内需拡大政策」に舵を切った政府の経済政策に歩みを合わせる形で、金融緩和政策を実行します。内需拡大政策とは「貿易ではなく国内需要を喚起・拡大することで経済活動を促進していく政策」のことで、この時の金融緩和政策としては「市場に流通するお金の調達コスト=公定歩合を引き下げることでお金を融通しやすくなるような操作」が実行されました。なお「公定歩合」は、現在は金融自由化の進展を受ける形で、市場の基準としての役割を終えています。
  • ※2(補):「円高不況」がもたらした深刻な帰結としては、国内工場の海外移転が進んだことによる産業の空洞化を招いたことが挙げられます。”made in Japan”、すなわち日本のメーカー製製品が「日本国内で作られていない」ことが常態化したという経済構造上の変化は、「バブル」崩壊による金融破綻共々、のちに不況からの立ち直りを模索するにあたっての大きな足枷となっていきます。
  • ※3:「プラザ合意」後の日本経済の状況を前提とした「日銀による公定歩合引き下げ」の結果、元々「円高不況」の影響から行き場をなくしていたお金はさらに市場に溢れ返ることとなったのち、やがて「土地は決して値下がりしない」という「土地神話」と結びつきながら不動産・株取引に集中して流れ込みました。このことを原因として発生したのが、80年代末(89年)をピークとする「バブル経済」です。
  • ※3捕:そもそも「土地神話」自体が合理的な裏付けを欠いていた上、のちに明るみに出たように、当時の不動産・株取引・融資事業では、リスクヘッジ(厳格な審査に基づく投資先の分散等々)も「ザル」であることが常態化していました。このような「金融腐敗」を主要因の一つとして、「バブル後」の日本経済は時間をかけて奈落の底へ転落していきます。その病根については「バブル」から30年以上経過した今なお、旧態依然としたガバナンス不全の事件や、「かつて」と表層を変えただけであることを思わせるような不透明な公金ビジネスの現場等々に、残念ながら深い残滓をとどめています。
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