【日本大通り/関内】関内駅の南北口

日本大通り(県庁・大さん橋)駅

関内駅北口と鎌倉街道

JR根岸線・関内駅の北口改札を出てすぐのところには、

横浜中心部を貫く大動脈の一つ、県道21号横浜鎌倉線が通されています。

「今日日の体感的な関内エリア」の概ね北端にあたる「本町通り」沿い、本町三丁目交差点から始まって鎌倉・鶴岡八幡宮前まで続くという、通称「鎌倉街道」ですね。

関内駅の北口からも巨大なウェルカム・ゲートが見えていますが、伊勢佐木モールへと繋がる道があるのは関内駅北口の一本西隣の通りです。

伊勢佐木モールと馬車道商店街、万国橋通りが一本の道で繋がっている他、鉄の橋や吉田橋関門跡、マリナード地下街への入口等々が、全て同じ一本の道上に用意されています。

吉田橋関門は「ここより海側が関内、外側が関外」の境目となった関所ですね。

鉄道開通前、馬車交通の盛期に交通の要所だったことが契機となる形でのちの発展に繋がった現在の馬車道商店街に対し、その延長線上に位置する現在の伊勢佐木モールは、「馬車道」の影響を受けつつ固まったベースが、「日本初の鉄道開通・初代横浜駅開業」を契機として繁栄した野毛エリアの恩恵を被る形で、明治・大正期には商店街としての一大繁栄期を迎えました(※1)。

戦後の混乱期には「アメリカ文化の発信拠点」としてもブレイクしますが、その時期の「華」が本来の魅力だったのか(かねてよりの姿だったのか)というと、その部分には少々疑問符がつきそうです(※2)。

ともあれ、北口の近隣では、横浜開港とともに成長してきた商店街が今も日々賑わっています。

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  • ※1:港崎遊郭が焼失後、遊郭はまずは現在の伊勢佐木エリアへ移転し、さらに高島町エリアへと移転しますが、高島町エリアで再び遊郭が火災にあったことから、最終的に「永真遊郭」の永楽町、真金町へと移転しました。初代横浜駅(現・JR桜木町駅)との位置関係では、駅近に野毛エリアがあり、大岡川を挟んでその隣には伊勢佐木エリアがある、そのさらに奥には「永真遊郭」があるという形で、現在のJR根岸線の南部一帯は、JR桜木町から関内駅の間にかけて、当時の銀座や浅草に比肩する「大衆モダン街」を形成していました。
  • ※2:第二次世界大戦と占領期のGHQによる大規模な接収政策は、開港都市・横浜に大きな歴史の断絶をもたらしました。もちろん、復興を遂げて久しい現在の横浜にも「ならでは」な魅力はありますが、「良くも悪くも戦前とは別の街になった」痕跡は、今も中心部の各所に色濃く残されています。例えば伊勢佐木エリアでいうのであれば、戦前の魅力は「西洋文化の和風解釈」が集積した地であったことであり、「イセブラ」と言われた「伊勢佐木歩き」では、訪問者がその雑多な空間に溶け込み、かつ味わうことが粋であるとされました。これに対して、大正期にルーツを持つ横浜中心部のジャズ文化は、戦後この地に拠点を置いた米軍(進駐軍)の手によって再定義されることになります。そこで形成されたのは「和洋折衷」ではなく、「洋」そのものを日常へ直輸入する契機でした。やがて一般的になっていくこの「洋化」のプロセスは、戦後の横浜にとどまらず、日本社会全体の歩みとも軌を一にしていたと言えそうです。
  • ※2:【横浜中華街/簡易史】戦後横浜の南京町と、横浜中華街
  • 【馬車道エリア/商店街・市役所】馬車道商店街 -文明開化と西洋建築、「日本初」-
  • 【馬車道エリア/万国橋・新港ふ頭】万国橋通り(馬車道駅界隈、馬車道商店街・新港ふ頭傍)
  • 【馬車道エリア/関内・伊勢佐木】鉄(かね)の橋の碑(JR根岸線関内駅高架下)
  • 【馬車道エリア/関内・伊勢佐木】吉田橋関門跡(JR関内駅傍・旧横浜道の関門)

Info

関内駅南口と横浜スタジアム

関内駅南口といえば、ご存知「ハマスタ最寄り出口」です。

「ベイスターズが優勝すれば無条件で盛り上がる」横浜中心部ではありますが、その一方で高校野球人気が高いのもまた、横浜を含む神奈川県下の野球観戦事情です。

野球漫画の金字塔「ドカベン」作中では「神奈川を制する者は全国を制す」とも謳われていますが、現在夏の県予選のベスト8以降(準々決勝以降)は全て横浜スタジアム開催となっています。

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