about 日本大通り
沿革
日本大通りは、開港都市・横浜始まりの地をおよそ南北に貫く、旧・交易場時代を象徴する幹線街路です。
江戸最寄りの対外交易地として激動の時代を最前線で迎えたのち、不慮の事情(後述)を動機として造られることになった人工の街路で、竣工と同時に命名された「日本大通」はのちに一帯の町名にもなりました。
以降は横浜港の繁栄と成長を共にする形で、神奈川県下の行政・司法機能の中枢を担い、今日へと至っています。
「豚屋火事」と日本大通り

開港7年後の慶応2(1866)年。
俗に「豚屋火事」と呼ばれる大火事(※1)が発生したことのあとを受ける形で、外国人居留地と日本人街の間に延焼防止エリアが組み込まれます。
この時に作られた「中央車道12メートル、その両側にはそれぞれ3メートルの歩道、9メートルの植樹帯」という、当時の日本では最大級の幅員を持った日本初の近代街路(西洋式街路)が日本大通りです。
明治3(1870)年の竣工後(※2)、明治8年には通りの名前が「日本大通」に、のち明治12年には住所表示が通りの名前と同じ「日本大通」にそれぞれ定められ、引き続き「開港場の中心エリア」として発展を続けました。
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- ※1:大火の俗名は、火元になったとされる豚肉料理屋・豚屋鉄五郎方からの命名です。当時の関内地区の2/3以上が被災したというこの大火では、日本側・列強側双方の合意によって作られたという港崎遊郭(現・横浜公園)の遊女が400人以上犠牲となるなど、人的被害も甚大であり、のちの復興では開港場のあり方が一変する大きな転機となりました。例えば、やがて「馬車の発着場」から商店街へと大きく繁栄することになる馬車道も、一つにはこの大火後の復興整備がのちの発展に大きな影響を与えたとみられています。
- ※2:日本大通りの竣工年には諸説(ほか、明治12年説など)あります。
- ※:【馬車道エリア/商店街・市役所】馬車道商店街 -文明開化と西洋建築、「日本初」-
- 【みなとみらい線沿線さんぽ】横浜開港と日米和親条約、日米修好通商条約(国交樹立と通商開始)
- 【みなとみらい線沿線さんぽ】近代横浜の始まり -開港地での共存-
日本大通り沿いの風景
開港地然とした雰囲気を今も色濃く感じられるのは、どちらかというと本町通りより海側の一帯、施設でいうと県庁や港郵便局がある区画側です。
単純に、海がより近い故でしょう。
県庁前付近からであれば、大さん橋に停泊中の大型クルーズ船の姿なども視界に入ってきます。
ただし一帯の秋の風物詩となる「銀杏並木の紅葉」については、通り全体でその風情を感じることができます。
「イチョウの見所」となると、むしろ内陸側、横浜公園寄りのエリアに多いかもしれません(※)。
以下、現在の日本大通り、県庁付近の風景です。

日本大通りの歩道は道幅が広く、歩きやすくなっています。

ところどころにイラストが描かれたタイルがあり、

海岸通り付近では県庁の向こう側に「クイーンの塔」横浜税関が望めますが、

本町通り沿いの交差点付近からだと、「ジャックの塔」横浜開港記念会館等を望めます。
日本大通りは、この本町通り付近でおよそ「海側」「内陸側」に二分されます。
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- ※:秋のイチョウのお勧めエリアは、特に横浜地裁前から日銀横浜支店前にかけての一帯です。
- 【日本大通り/象の鼻】大さん橋国際客船ターミナル(日本大通り、象の鼻パーク傍)
- 【日本大通り/象の鼻】神奈川県庁本庁舎(日本大通り駅最寄り、象の鼻エリア傍)
- 【日本大通り/象の鼻】横浜税関・クイーンの広場(横浜税関資料展示室)
- 【日本大通り/象の鼻】横浜市開港記念会館(横浜三塔、日本大通り駅最寄り)
主な施設・史跡
日本大通り沿い・付近の以下の施設については、別記事を設けました。
日本大通り駅出口

みなとみらい線の日本大通り駅出口(スタジアム口 ※)は、日本大通り沿い、本町通りとの交差点付近にあります。
海側を背にして真正面が横浜スタジアムのある横浜公園方面です。
標識の少し下あたりに、新設された横浜スタジアムのウイング席が見えています。
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- ※:日本大通り駅の出口自体は複数ありますが、日本大通り沿いに作られた出口は「スタジアム口」のみで、ここが「みなとみらい線・日本大通り駅で下車した場合」の横浜スタジアムの最寄り出口にもなっています。
- ※:横浜スタジアムの最寄り駅自体はJR根岸線関内駅、みなとみらい線停車駅の中での最寄駅が日本大通り駅です。スタジアムまでの距離のみで選ぶのであれば、関内駅利用がお勧めです。
- 【みなとみらい線全駅情報】 日本大通り(県庁・大さん橋)駅 -構内・出口・乗換案内-
- 【日本大通り/関内】横浜公園(JR関内駅前、日本大通り傍)
- 【日本大通り/関内】横浜スタジアム(横浜公園内、日本大通り傍)
神奈川県庁本庁舎

神奈川県庁(本庁舎)は、日本大通りの一番海側に位置している建物です。
元々この区画はのちの横浜税関である神奈川運上所の土地であり、「運上所」がこの敷地に建っていました。現在はそのことを後世に伝える石碑が本町通り側に残されています。
開港場の現実を一転させることになった「豚屋火事」後、運上所の移転とともに、神奈川奉行所の出先機関である横浜役所が設置されると、以降は中央政府の改組に歩みを合わせる形で横浜裁判所、神奈川裁判所から、最終的には明治期、幕末の動乱の終焉とともに神奈川県庁へと改組されました(※)。
現在、日本大通り側から見て裏手にあたる位置には、みなと大通りを挟んで神奈川県庁の新庁舎が建っています。
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- ※:この時代の裁判所は「奉行所」の職掌を受け継ぎ、地方統治全般を一手に担っていました。
- 【みなとみらい線沿線さんぽ】近代横浜の始まり -開港地での共存-
- 【日本大通り/象の鼻】神奈川県庁本庁舎(日本大通り駅最寄り、象の鼻エリア傍)
- 【日本大通り/象の鼻】神奈川県庁新庁舎展望台(神奈川県庁本庁舎隣)
- 【日本大通り/関内】みなと大通り(横浜公園、旧市役所、横浜税関間の通り)
- 【日本大通り/象の鼻】横浜税関・クイーンの広場(横浜税関資料展示室)
旧イギリス総領事館(現・横浜開港資料館)・開港広場公園

神奈川県庁と並んで日本大通りの一番海沿いに位置しているのは、かつてのイギリス総領事館です。
現在は旧・イギリス総領事館が横浜開港資料館(旧館)として使われています。
日本大通り側から見て開港資料館の裏手に位置するのは、条約締結のため来日したペリー一行がこの付近に上陸した、ということを記念して造られた開港広場公園です。
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- 【みなとみらい線沿線さんぽ】近代横浜の始まり -横浜開港-
- 【日本大通り/象の鼻】横浜開港資料館(開港広場公園隣、象の鼻、大さん橋傍)
- 【日本大通り/象の鼻】開港広場公園と周辺エリア(大さん橋、日本大通り傍)
Info
日本大通りと象の鼻パーク

日本大通りに直行している海岸通りの向こうは、象の鼻パークです。
かつて波止場があった一帯で、現在も遊覧船の発着エリア「ピア象の鼻」が設置されているほか、

新港地区と山下公園が遊歩道で結ばれているという、廃線跡を利用した「山下臨港線プロムナード」もすぐそばにあります。
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- 【日本大通り/象の鼻】海岸通り(万国橋通り、みなと大通り間の海沿い)
- 【日本大通り/象の鼻】象の鼻パーク(日本大通り駅最寄り、大さん橋傍)
- 【みなとみらい線沿線の移動手段/まとめ】沿線発着の定期観光船
- 【みなとみらい線沿線さんぽ】山下臨港線プロムナードと「開港の道」
THE BAYS

「THE BAYS」は、横浜DeNAベイスターズにとっての「横浜スポーツタウン構想」の中核を担う複合拠点施設です。⠀

財務省関東財務局・横浜財務事務所の横浜第二合同庁舎(※)への移転に伴い、「The BAYS」として生まれ変わりました。
日本大通りの陸側の端、横浜公園の手前という抜群のロケーションを持ち、シェアオフィスやスタジオといったビジネス・発信機能をはじめ、日常使いが可能なカフェ&ダイニングやライフスタイルショップも併設されています。
ベイスターズの公式動画では稀にその距離感が話題になることもありますが、横浜公園内に横浜スタジアムや球団公式グッズを扱った「BAYSTORE」等々があることを前提とした場合、好立地に加えて「秘密基地」のような趣も持った施設という個性も光ります。
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- 【日本大通り/象の鼻】THE BAYS(日本大通り、横浜公園傍)
- 【みなとみらい線沿線さんぽ/日本大通り・象の鼻】THE BAYS
- 【日本大通り/関内】横浜公園(JR関内駅前、日本大通り傍)
- 【日本大通り/関内】横浜スタジアム(横浜公園内、日本大通り傍)
- ※:旧生糸検査所を模した建物の高層階部分です。
- ※:【馬車道エリア/商店街・市役所】馬車道商店街 -文明開化と西洋建築、「日本初」-
Info
日本大通りと横浜の歴史、主な施設
港郵便局

日本大通りを挟んで県庁の向かいにあるのは、横浜港郵便局です。

明治6(1873)年に締結された日米郵便交換条約証書(※1)の取り決めによって、明治8(1875)年にアメリカとの間に郵便業務が開始された(※2)という外国郵便の創業局で、かつては通常営業時間外を含む24時間の窓口対応をしていました。
現在も中区内で一番大きい郵便局です。
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Info・参考資料
- 文化遺産オンライン ”日米郵便交換条約証書”(※1)
- 総務省 情報通信白書 “外国郵便“(※2)
旧横浜商工奨励館(現・横浜情報文化センター)

港郵便局の向かい、かつ神奈川県庁のはす向かいにある建物は、昭和4(1929)年に横浜商工会議所が建てた横浜商工奨励館として、商工会議所の産業貿易センター移転(1975年)まで使われていました。
平成10(1998)年には横浜市認定歴史的建造物に認定され(※)、現在は横浜情報文化センターが入居しています。

右が旧商工奨励館、左が港郵便局、直進方向が元町中華街駅方面で、みなとみらい線はこのほぼ真下に通されています。
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Info
- 横浜企業経営支援財団公式サイト “横浜情報文化センター“
- 横浜市公式サイト “指定等文化財一覧“(※)
電信創業の地、横浜地検、関東大震災慰霊碑
商工奨励館の向かいにあたる横浜地検前は、「電信創業の地」です。

1869(明治2)年、この地にあった横浜電信局と東京電信局との間で、日本初の電報の取り扱いが行われました。以降、横浜中心部は電話や電信とも関わりが深い地となっていきます(※)。

横浜地検の隣は、横浜地裁・横浜簡裁です。

地裁の裏手の通り沿いには神奈川県の弁護士会館があって、この一帯は神奈川県下の法曹の中心地となっているのですが、そんな横浜地裁敷地内には、関東大震災の慰霊碑が置かれています。
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日本銀行横浜支店

地裁・簡裁のとなりには、日銀の横浜支店があります。発券業務や市中銀行との取引など、ざっくり見るかぎり「いかにも日銀」というような業務が行われているようです。
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Info
- 日本銀行横浜支店公式サイト “見学のご案内“
旧三井物産横浜支店ビル(KN日本大通ビル)

現役官庁が林立する向かい側に建てられているのが、現在「KN日本大通ビル」と呼ばれている、旧三井物産横浜支店ビルです(1911年=明治44年竣工)。

日本初の全鉄筋コンクリート造り、戦前を代表するオフィスビルだったようです。

