【日本大通り/象の鼻】神奈川県庁本庁舎(日本大通り駅最寄り、象の鼻エリア傍)

日本大通り(県庁・大さん橋)駅

about 神奈川県庁

神奈川県庁と日本大通り

神奈川県庁(※1)は、その発祥以来、今に至るまで「横浜はじまりの地」日本大通りに位置しています。

現在の本庁舎が関東大震災後の復興事業で作られた四代目庁舎にあたるほか、

  • 日本大通りを挟んだ向かいに東庁舎
  • みなと大通りを挟んだ裏手には昭和41年竣工の新庁舎をはじめ複数の庁舎が林立(※2)

という、本庁舎とその周辺が一大「県庁エリア」となっているのも県庁付近の特徴なのですが、現在の「県庁エリア」は元々は横浜税関の敷地でした(後述)。

なお、国旗や神奈川県旗が半旗になっているのは、撮影日が3月11日(東日本大震災発生日)だったためです。

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Guide

  • ※1:神奈川県域の地方行政を統括している自治体の官庁です。
  • ※2:主なところでは、本庁舎の向かいに東庁舎、真裏に新庁舎、エネルギーセンター棟、さらにその奥に西庁舎などがあります。

Info

神奈川県庁の変遷

神奈川県庁のルーツは、慶応4(1868)年3月、幕府の神奈川奉行所の業務を引き継ぐ「横浜役所」が設置されたことにあります。

当時の所在地は現在横浜地裁や横浜地検が位置するあたり、本町通りを挟んだ隣くらいの位置だったとされていますが、のちに結果として日本大通りを生むことになった幕末の大火(豚屋火事)の翌年(※1)、慶応3(1867)年に初代の庁舎が竣工すると、記述のようにその翌年に県庁の前身・横浜役所(のち、横浜裁判所)が設置されました。

「役所」「裁判所」等々と短期間に二転三転した神奈川奉行所後継組織の名称(※2)は、廃藩置県と同年の明治4(1871)年に「神奈川県庁」となるのですが、残念ながら初代庁舎は明治15(1882)年の火災で焼失します。

そのため翌明治16(1883)年、10年前に現在の県庁所在地にて神奈川運上所の業務を引き継いでいた横浜税関が、敷地と建物を「神奈川県庁」に譲り渡す形で「二代目庁舎」が誕生しました(※3)。

大正2(1913)年、先代の県庁舎(旧・横浜税関の建物)を取り壊して作られた新庁舎(三代目庁舎)が竣工しますが、そのわずか10年後の大正12(1923)年には関東大震災に被災します。

震災後、昭和3(1928)年に竣工したのが現在の四代目の県庁舎です。

振り返ってみると、中々に波瀾万丈の歴史を持っていることがわかります。

神奈川県庁本庁舎は、展望スペースや歴史展示室など平常時も解放されている一部以外についても、日時限定で一般公開されています(※4)。

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Guide

  • ※1:【日本大通り/象の鼻】日本大通り(銀杏並木、神奈川県庁、横浜開港資料館etc)
  • ※2:この時代の裁判所は「奉行所」の職掌を受け継ぎ、地方統治全般を一手に担っていました。
  • ※3:この時の横浜税関の移転先は現在の象の鼻パーク・開港波止場エリアだったとされています。横浜税関が現在地に移転するのは、関東大震災からの復興時のことです。
  • ※4:【日本大通り/象の鼻】神奈川県庁本庁舎・一般公開見学(2015年GW)

本庁舎6階

歴史展示室

展望フロアにあたる6階では、エレベーターを降りてすぐのところ左手に、歴史展示室が設置されています。

部屋一面の壁には神奈川県庁の歴代庁舎や関内地区の歴史的建造物、さらには他府県のレトロ庁舎の写真や簡易解説などが展示されているのですが、

室内に入ってすぐの床に「関内地区の歴史的建造物マップ」が描かれている様子には「隠れた観光案内所」的な風情があって、中々目を引きます。

屋上展望エリア

展望台フロアに着くと、エレベーターの正面に展望台エリアへの入り口があります。

屋上に出ると、本庁舎の「塔」の部分が間近に見える他、

かつて現・県庁本庁舎の軒先部分に使われていた「ライト様式のテラコッタ」が展示されていて、

開港資料館や開港広場公園方向、

大さん橋方向(ここに小さな展望台が設置されています)、

「クイーンの塔」横浜税関や赤レンガ倉庫方向、

元浜町通りの向こうに見える旧・生糸検査所(現・横浜第二地方合同庁舎)、

すぐ隣にある神奈川県庁新庁舎、

交差点のはす向かいに位置する横浜開港記念会館など、視界が360度に開けています。

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