横浜赤レンガ倉庫
about 赤レンガ倉庫
「横浜赤レンガ倉庫」は、2002(平成14)年に新港ふ頭にオープンした観光施設です。
旧大蔵省によって作られた二棟の赤煉瓦保税倉庫、「横浜税関新港埠頭保税倉庫」がリニューアルされた形ですが、それぞれの倉庫としての竣工年は、
- 二号館(南側、日本大通り寄り):明治44(1911)年
- 一号館(北側、みなとみらい寄り):大正2(1913)年
です(倉庫の歴史等について、後述)。
現在の位置づけとしては、二号館が商業施設、一号館が文化施設とみなされています(※2)。
両倉庫間のスペースは「イベント広場」として利用され、数々の赤レンガ名物イベントが展開されています。
◾️関連リンク
Guide
- 【馬車道エリア/万国橋・新港ふ頭】赤レンガパーク(新港ふ頭内)
- 【馬車道エリア/万国橋・新港ふ頭】新港ふ頭(馬車道駅最寄り、赤レンガ、ハンマーヘッドetc)
Info
- 横浜赤レンガ倉庫公式サイト
- 公式サイト “フロアガイド“(※)
- 横浜市公式サイト “赤レンガ倉庫“(※2)
保税倉庫とは
保税倉庫とは、関税の支払い前の外国貨物を(輸入許可が下りるまでの間)保管するための倉庫です。
輸出入品目や品質のチェック、関税の賦課等の作業をスムースに行うために必要とされます。
歴史的には、不平等条約の改正に伴って1897(明治30)年に「保税倉庫法」が公布、1899年(明治32年)に施行されると、日本独自の保税制度に付随する設備として「保税倉庫」が法的に確立されました。
「保税倉庫法」公布・施行は、新港ふ頭や赤レンガ倉庫の建設とも一本で繋がっているという、日本の近代化の節目の一つを形成する出来事ではあるのですが、そもそものスタート地点に当たる開国・開港期のルーツを振り返ると、「保税倉庫の前身」自体が「保税制度・保税倉庫の設置を急務とせよ」という列強からの外圧に従い、始まっています。
のちの保税倉庫法の前身にあたる「借庫規則」や、その規則が規定する(のちの保税倉庫である)「借庫」は、幕末期(慶応年間)以来居留民側が主導する形ですでに存在しており(※)、1872年(明治5年)11月28日、各地の運上所が一斉に「税関」と命名変更された動きもまた、その現実に「追いつけ、追い越せ」を目標とした、遅ればせながらの明治政府主導の動きに該当しました。
幕末にはすでに存在していた「保税倉庫の前身」が、明治の世になるといよいよ国の肝入りで制度改革の対象となった、それが結実したのが「明治30年に公布された保税倉庫法」だった、という一連の流れの中、日本側目線での近代税制の一つのスタート地点となったこの日は、現在「税関記念日」と定められています。
◾️関連リンク
Guide
- 【みなとみらい線沿線さんぽ】近代横浜の始まり -横浜開港-
- 【日本大通り/象の鼻】横浜税関・クイーンの広場(横浜税関資料展示室)
Info・参考資料
- 横浜税関公式サイト “横浜開港150年の歴史“
- 税関公式サイト “税関の歴史“
- 函館市/函館市地域史料アーカイブ “保税倉庫のはじまり“(※)
「赤レンガ」のイチオシ要素

海に面しているというロケーションもまた魅力的ですが、赤レンガ倉庫のイチオシ要素は、両倉庫間の「イベント広場」にて開催される各種のイベントにあります。
単体での魅力の他、人気イベントの魅力がリピート需要となってそこに加算されるため、観光スポットとしての一帯には「飽き」が来にくい面があります。
「赤レンガ倉庫の何を見たら楽しめるのかよくわからない」というような場合、まずはイベントをチェックすることから入るというやり方がおすすめです(※)。
◾️関連リンク
Guide
- 【ちょっと懐かしい沿線風景】全国ふるさとフェア@赤レンガパーク(2015年)
- 【馬車道エリア/万国橋・新港ふ頭】新港ふ頭の大型商業施設一覧(みなとみらい線馬車道駅最寄り)
Info
- 赤レンガ倉庫公式サイト “イベントカレンダー“(※)
横浜の歴史と赤レンガ倉庫
赤レンガ倉庫竣工

1917(大正6)年、開港後の貿易規模拡大に伴う形で沿岸の整備が進んだ横浜港では、明治の半ば過ぎ(明治32年=1899年)に着工した新港ふ頭が竣工しますが、その間、
- 1911(明治44)年:赤レンガの二号館
- 1913(大正2)年:赤レンガ倉庫の一号館
が、それぞれ竣工しました。
横浜開港(安政6年=1859年)から、約半世紀後の出来事です。
貿易港・横浜の新しい中心となった新港ふ頭内にて、『日本最初の荷物用エレベーターや消火水栓(スプリンクラー)、防火扉などを備えた、日本が世界に誇る最新鋭の』(公式サイトより引用 ※)、一帯を代表する倉庫だった様子が伝え残されています。
◾️関連リンク
Info
- 横浜赤レンガ倉庫公式サイト “横浜赤レンガ倉庫の歴史“(※)
被災と暗転、老朽化から終焉へ
しかし不運なことに、ここからしばらく横浜は冬の時代に突入します。
新港ふ頭竣工(大正6年=1917年)のわずか6年後の惨事である関東大震災被災(大正12年=1923年)と、さらには第二次世界大戦末期の戦災という、20世紀前半の首都圏にとっての二つの衝撃をたて続けに受けてしまうことになるんですね。
被災、復興、そしてまた被災、さらにその後のGHQによる接収と続いた赤レンガ倉庫の冬の時代は、1956年(昭和31年)のGHQによる接収解除明けには終わりを迎えるのですが、時あたかも日本経済、さらには日本社会の勢いが未曾有の右肩上がりを続けていた戦後の高度成長期。
残念ながらやがて赤レンガ倉庫では施設の老朽化が言われるようになり、さらには貿易港としての横浜港の中心も、新山下・本牧ふ頭などへと移動を始めます。
最終的には昭和が終わった1989年(昭和64年=平成元年)、「赤レンガ倉庫」もまた、倉庫としての役割を終えることになりました。
荒廃からの再生
80年に及ぶ、輝かしくも数奇な歴史を一旦閉じることとなった赤レンガ倉庫では、「引退」直後から見るも無残な廃墟化が進みました。
一時期は壁一面落書きだらけという悲惨な状態にあった「赤レンガ」ではありましたが、目に見える形で再生への軌道に乗り始めたのは、いわゆる「失われた20年」と呼ばれた時代真っ只中の平成中期、西暦2000年前後。
サッカーW杯が日本開催され、横浜会場で決勝が行われた2002年に、新生「横浜赤レンガ倉庫」がリニューアルオープンします。
「倉庫としての赤レンガ」終焉(1989年)から、新生赤レンガ倉庫開業(2002年)直後にかけての時代はまた、横浜中心部の再開発プランである「みなとみらい21計画」が表立って成果を上げ始めた時代でもありましたが、およそこの頃から今につながる「赤レンガ倉庫」の新たな歴史が始まりました。

