【日本大通り/象の鼻】横浜開港資料館(開港広場公園隣、象の鼻、大さん橋傍)

日本大通り(県庁・大さん橋)駅

about 横浜開港資料館(旧イギリス総領事館)

沿革

横浜開港資料館は、開港広場公園、象の鼻パーク(開港波止場)、日本大通りに隣接する横浜史の資料館です。

1981(昭和56)年6月2日(※1)にオープンしました。

旧館・新館の二館が施設のベースとなっていますが、

  • 旧館:関東大震災後の1931(昭和6)年に英国総領事館として建てられ、1972(昭和47)年まで総領事館として使われたのち、1979(昭和54)年に横浜市が取得。
  • 新館:横浜開港資料館開館に合わせて、1981(昭和56)年5月に竣工。

一方(旧館)は施設の保存・再利用が狙われ、もう一方(新館)はその目的をバックアップするために新設されたという形で、それぞれの建物は異なる歴史を持っています。

旧館の方は2007(平成19)年、赤レンガ倉庫や神奈川県立歴史博物館等々と共に、経済産業省の「近代化産業遺産」(※2)に認定されました(※3)。

ほか、もともと「旧館」には「大佛次郎記念館」(現・港の見える丘公園内)として再利用されるプランがあったところ、再考ののちに現在の形に落ち着いたという顛末もあったようです(※4)。

「イギリス繋がり」という点からは、「旧英国総領事館」だった旧館に対して、「旧英国総領事公邸」として機能していた横浜市イギリス館が、港の見える丘公園内に遺されています。

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Info・参考資料

館内の展示資料

資料館の展示資料は『横浜市史』編さん時の収集資料をベースとしています。

市史の元資料がベースである以上、19世紀以前の横浜史も対象とされてはいるのですが、「開港期をスタートラインとして、爆発的に巨大都市への成長が始まった」という都市・横浜が持つ歴史の特性上、メインはやはり開港期以降です。

残念ながら館内は撮影禁止となっていますが、特に開港期にまつわる資料(当時の写真や絵、再現模型、原寸大の新聞、瓦版、遺構からの出土品、書類等々)が数多く展示されているので、とても見ごたえがあります。

もし「満遍なく」を望む場合は、馬車道にある神奈川県立歴史博物館と併せての見学がおすすめです。

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  • 【馬車道エリア/商店街・市役所】神奈川県立歴史博物館(馬車道駅最寄り、馬車道商店街内)

Info

開館時間

開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、休館日は毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)と年末年始です。

入館料(展示室観覧料)は一般200円(20名以上の団体150円)、小・中学生および横浜市内在住の65歳以上は100円(団体80円)となっています(※土曜日は小・中・高校生等は無料)。

このほか、館内には横浜開港資料館が所蔵する歴史資料を調べることができる「閲覧室」が併設されており、資料の閲覧自体は無料で利用できます(前日までの事前予約必須、コピー等は有料)。

詳細は公式サイトの「利用案内」(※)をご参照ください。

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Info

  • 横浜開港資料館公式サイト “利用案内“(※)

“PORTER’S LODGE“(ミュージアムショップetc)

2023(令和5)年7月、横浜開港資料館敷地内に、旧英国総領事館(現・開港資料館旧館)の付属棟を再利用した“PORTER’S LODGE“がオープンしました。

“PORTER’S LODGE“は、カフェとミュージアムショップの機能を持つコンシェルジュ(観光案内所)で、開港以来の横浜の歴史や英国総領事館としての歴史ゆかりのオリジナル商品などを取り扱っています。

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旧館とその周辺

「旧・英国総領事館」として

旧館の門扉には、旧英国総領事館としての由緒書きと、

開港資料館の表札が、それぞれ掲げられています。

入り口は日本大通り側にも作られていますが、

日本大通り沿いの歩道にも「旧英国総領事館」の由緒書きが用意されています。

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  • 【日本大通り/象の鼻】日本大通り(銀杏並木、神奈川県庁、横浜開港資料館etc)

ペリー上陸とたまくすの木

敷地内中央部には、開港期以降の横浜に因んだパネルが色々用意されています。

その中にはペリー一行来航時の様子がプリントされた石板が置かれているのですが、この絵の右側に描かれた木から育った木が、

現在、開港資料館の中庭に立っている「たまくすの木」です。

海側にある出入口から入ると、正面に位置しています。

獅子頭共用栓とブラフ溝

「横浜から広がった西洋文化」の説明が書かれたパネル傍には、

山手地区ではお馴染みの「ブラフ溝」(※)と、横浜に日本で初めて近代水道が引かれた直後、市内の各所で使用されていたという「共用栓」(ブラフ溝の奥)が置かれています。

明治18年~20年頃は、道端に設置されたこの共用栓から水の供給を受けていたようです。

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